息子が「中間テストの範囲はここ」と英語の教科書を持ってきたんだが、文法を教えずに感覚で基礎的な会話文を読ませているだけの教科書だった。
こんなもの単語と訳文の丸暗記くらいしか「試験勉強」のしようが無い。
しかしそういう犬の道を憶えられると怖いので、レポート用紙を1枚持ってきて、be動詞とは何かを、構文解析しつつ教えてやった。
個人的経験から、be動詞を「は」と訳す形で入門させると、まずは文形 (SVO, SVC) への接続で躓く気がする。
その先のshould be(助動詞shallの過去分詞形shouldとくっついて「~すべき」)とか、being(動詞beがingをくっつけられて名詞形になったもの「存在、生き物」)を学習する際にも、この一番最初のところまでロールバックしてルールを書き換えて理解するか、原形で出てくるbeを、be動詞(am, are, is)とは無関係の別ルールとして処理するか、be動詞の例外処理として捉えるかしなければならない。
プログラミング風に言えば「コードが汚くなる」わけだ。
それでもまあ、殆どの人は大学に入るなり就職なりすれば英語とはサヨウナラになるし、仮に仕事で使うとしても私みたいに構文解析までやる必要があるような人は些少である。だから汚いコードでbe動詞を教えるのもナシとは言わない。
だってこの教科書、be動詞の説明はこんだけだぞ。気は確かか(24時間ぶり2回目)。
よそんちの子のことは管轄外だが、自分の子供にはもっと本質的なところでbe動詞を理解して欲しいので、beを「存在している」という動詞として捉えて、それに対応した訳文を作ってみせた上で、元の英文の動詞をlikeとかseeとかの動詞と入れ替えた時に、父ちゃんの作った訳文も動詞部分だけの入れ替えで全部成り立つことを理解させて
「おお~」
と感動の声を上げさせておいた。
ちなみにbeは古英語ではbeon, beom, bionなどと書かれていた言葉で、更に遡ってゲルマン祖語ではbiju-となる。もっと更に遡ってインド・ヨーロッパ祖語ではbheue。
いずれも「存在する」「存在するようになる」という意味である。
これらの語は全てbから始まっている。
つまり何千年も前にインドからヨーロッパにかけて住んでいた人々の間では、bの音が「そこになにかがある」という状態と結びついていた。言語学的に掘り下げればもっといろいろあるだろうが、中学1年生に英語を教える段階の議論では、そう考えておいてあながち間違いではないだろう。
さて、ここからが特に大事なところだ。将来、犬の道を通らずに創造的な仕事をしようとするキッズは、千切れずについてきて欲しい。
誰かがいる、とか、何かがある、という状態を考えてみよう。例えば今これを書いている私の目の前、そこには3枚のコインがある。
日本語で私はこれを「そこには3枚のコインがある」と書いた。
英語では There are three coins となる。日本語と対応させるとこうなる。
- そこには there
- 3枚の three
- コインが coins
- ある are
areはもちろんbe動詞だ。ある、ということが動詞であり、その動詞はbeからisとかareとかに変化することが、これでわかっただろうか。
人間でも同じである。
例えば I am Penn という発話があるとしよう。日本語に訳すと「私はペンである」となる。ペンは名前だ。字を書く道具のpenではない。わざと混同しやすい例文を書いて振り落としをかけているが、千切れずについてきて欲しい。
先程と同じように日本語と対応させよう。
- 私は I
- ペン Penn
- である am
念の為、amがbe動詞である。これで、人間にしか使わないbe動詞 am もまた「ある」という動詞であることがわかる。
さあ、ここからだ。一番大事なことを書く。一生憶えておくと良い。
「ある(在る)とは、動きの一種」
だからbe動詞は「~として在る」という動き、これを指し示す動詞なのだ。
現代の我々は、静止しているように見える人とかコインも分子や原子のレベルでは常に動き続けている(熱振動)ことを知っている。人もモノも、それがそのように在るためには、然るべき形で組み上げられた膨大な数の原子が、然るべき運動をしていなければならない。
古代のインド・ヨーロッパ語を話していた連中にはもちろんそんな知識は無かった。ただ、連中は、ものがものとしてあること、人が人としてあることを、「動き」「運動」として捉えていたのだ。そして、そういう言葉を持ってしまったからなのか、ヨーロッパの哲学は19世紀になっても20世紀になっても21世紀になっても、存在を「動き」として捉える流派が根強い。ドイツ観念論とか現象学とか新実在論とかな。
数学の言葉と比較すると、ここ↑で何を言っているのかわかりやすいかもしれない。
2+3=5
ここでは左辺2+3と右辺5が同じものである、という意味で=が使われている。日本語では「は」だ。
一方、英語で
You are crazy
「おまえは狂っている」
この例文のbe動詞を数学の=と入れ替えてみよう。
You=crazy
左辺の「おまえ」と右辺の「狂っている」は同じものである、という意味になる。だが、実際には「狂っている」というのは誰かの状態なのであって、誰かそのものではない。You are crazyとは、「狂っている」という状態にあるおまえがここに居る、という意味なのだ。だから、be動詞を決して数学のイコールの類推で理解してはならない。
最後にこの曲を聞いてみる。
タイトルBe the oneはどう訳せば良いだろうか? 数学からの類推でイコールを持ち出すと詰む。=1では左辺が無くなってしまうから、何のことかわからぬ。
Beはもちろん「存在する」という動詞だ。動詞が元の形のまま文章の冒頭に来ると、命令形と言って、誰かに「こうせよ」と命じる表現になる。
oneは数字の1であるが、定冠詞theがくっつくと「これしかない」という意味になる。だから、the oneは「これしかないひとつのもの」だ。
では続けて言ってみよう。
Be the one 「これしかないひとつのものとして存在せよ」
何のことか、もちろんあのことだ。桐生戦兎と万丈龍我は二人でひとつ。仮面ライダービルド・クローズビルドフォーム。