息子「父ちゃん、俺が卒業式で将来の希望について何を言うか知ってる?」
私「知らないなあ。」
私「知らないなあ。」
※私は卒業式当日は商品の検品と発送があるので中抜けの予定。
息子「自分は欲しいものが沢山あるので、いっぱいお金を稼げる仕事をしたいと思います。」
※欲しいものとはハイエンドのマウスやキーボードやグラボやメモリや電源やモニターやソフトのことである。あと、その時点で最新型のトヨタ・ハリアー。
私「それは素晴らしい(youtuberとか教員とか公務員とか研究者とか言い出すより1万倍良い)!」
ほんで早速、暇な時間に読むんだと言って昨日買わせたUnityの入門書をランドセルに入れて登校していきました。
さて、Coderdojoに1年以上徹底的に参加し倒してわかったことは、彼は綺麗にまとまった「作品」を作るよりも、どこか特定の部分を徹底的に掘り下げて精緻化したい人間だということ。
「俺は作りたいものは無いんだけど、プログラミングはしたいんだよ。」
という主張を昨日、一緒に分析した結果です。
例えば、あるソフトウェアの中の特定機能について、徹底的に改良改善してくれ、みたいな仕事がしたいと。
「俺は見た目なら見た目を徹底的にいじるし、中身なら中身を徹底的にいじるので、そこで力尽きて全体をカッコよくは出来ない。」
だから、Whyプログラミングや巷のキッズプログラミングコンテストでスポットライトが当たるようなものは、彼は作らない。以前にWhyプログラミングの番組で彼が書いたコードが使われましたが、それは「花火の動きを綺麗に見せる」という特定部分を掘り下げたものでした。
最近はCoderdojoでも彼はMinecraftばっかなんですが、そこで彼がちまちまやっているのも、特定の効果を実装するための、やたらと凝った仕組みを作る作業です。dojoでは他の子が見栄えの良いコンパクトな作品を発表していて、私なんか単純に「おー、すごいなあ」と感心しますけれども、そういうのを見た時の息子の感想も「あれ(そこで使われている技術)はもう使ったことがある。」というものばかり。
つまり、何らかの機能を実装するためのプログラムの組み方が彼の興味関心の対象らしいのです。
昨日、息子が作りたいと言っていたものは、「画面上のボタンがクリックされた後のボタンの動きと効果音の組み合わせ」だったかな。そんなもん何でも同じじゃないのかと問うたら、いや、全然違うんだと。ボタンをどう動かすか、どんな効果音を選ぶのか、両者をどう組み合わせるか。それで凄いものを作りたい。
根っからのエンジニアみたいですね。きっと将来は良い給料を取れる、腕利きのプログラマーになることでしょう。