刺激を受けました、は魔法の言葉。

先週の話になりますが、教え子たちに声をかけて、とある有名なコンサルタントさんの講演会に行かせたことがありました。お話の内容はとても面白かったようです。私はすぐにこう指示しました。

「じゃあ今日明日中に以下の章立てで感想を書き、先方に送りなさい

1:講演の概要
2:もっとも強く同意する点とその理由
3:同意を保留する点とその理由
4:まとめ」

みんな素直な子たちなので、もう先生じゃない私の指示にもちゃんと従って、すぐに面白い感想を書いて送って来ましたよ。でも何故こんなことをわざわざやらせるのでしょうか? ちゃんと理由があります。

まず、日本人は講演やレクチャーや視察の後にフィードバックを送ってこないという評判があるらしいこと。だったらきちんとフィードバックを送るだけでも、「お、こいつは」と憶えておいていただけます。今ならお得。

そして、何か感じたり経験したら、すぐにそれを形にして残しておくと、蓄積されて自分の手元に残る量が一桁違うと私は考えているから。

最近みなさんがご愛用のフレーズで「刺激を受けました」というものがありますよね。これ実は便利なフレーズで、何か見たり聞いたり経験したりした時に、ともかく「刺激を受けました。自分ももっともっと頑張ろうと思いました。」って言っておけば済むんです。実際、ウソはついちゃいないですしね。刺激は受けたんでしょう。頑張ろうと思ったんでしょう。でも、そうしたらすぐに何か自分でやってみる、作ってみる、出来れば人目にそれを晒してみる。ここまでやっておかないと、結局は変われないんじゃないかと思うのです。

思い当たる節はありませんか? 「刺激をうけました」が口癖の人。年がら年中、全力で刺激を受け続けているけれども、それだけ、みたいな。何かやるとしても、何をやっても褒めてもらえるような気心の知れた仲間内に限られる、みたいな。

それは、刺激を受け流してるだけです。受け流してるだけなんですよ。