現代思想別冊の宮本常一特集を近所の本屋で買ってきて眺めています。興味深い論考もあれば、どうかと思うようなものもあります。特に気になったのは、文学系で研究者としての基礎訓練を受けていない論者(文芸誌編集者や作家から大学教員になったような方々)の文章の曖昧さです。
今年、卒論の指導をしてみてとにかく苦労したのが、簡潔明快で必要なことは全て書かれているが、不必要なことは一切書かれていない、そして出典が明確に判断出来る文章を書かせるということでした。
たしかに、ポストモダンが流行った1980年代からの20年間あまりには、なるべく何を言っているのかわからない、余計な知識をこれでもかと詰め込んだ衒学的な文章が、人文系とそこに近い社会科学系の論者の文章の基本でした(フランスや英米の論者もそういう文章を書いていたのを真似したのです。バーミンガム系のカルスタの人の英文などまさにその典型)。研究者ムラのムラビトになってそこで生計を立てていくのであれば、かような文体が書けるようになる必要もまだ辛うじてあるのかもしれません(一応、私は書けます)。
ですが、私が教えた子たちは研究者になるわけではありません。社会人として必要な文章力とは、簡潔明快で余計なことを書かない、誤読される可能性が最小の、なるべく多くの人に理解出来る文章を書く能力です。そして、カルスタやポスコロが終わりつつある今、かつてのような衒学的な文章のニーズも非常に少なくなっています。
有為な社会人として若者たちに活躍してもらうため、科学的で論理的で簡潔明快な文章の書き方をどうやって教えるのか。来年私が育てる、最後の教え子たちのためにも、このテーマについて、一度きちんと考えておかなければならないと痛感しました。