部活の思い出

中学の部活について

そういえば中1の夏休みまではバスケットボール部に入っていたのを今更思い出した。

何でそんなものに入ったのか。

なんだっけ。なんか親が運動部に入れとか入った方が良いとかいう雰囲気だったんだよな。

で、入ってみた。未経験者ですよ。

で、1学期の間、一度も試合とかやらせてもらえないでひたすら走り込みとシュート練習。

アホくさくなったので夏合宿が終わったところで止めた。辞めてさえいない。単に行かなくなった。辞めるという手間さえ時間の無駄だと思った。

並行して入っていたオーケストラ部はまあまあ面白かったので結構続けた。高1くらいまでは行ってたかな。でも目立てるファーストバイオリンから地味なコンバスやビオラに移されたので、つまらなくなって行かなくなった。つまり止めた。

要するにやりたいことやって目立てないならやってる意味なんか無いってことだったんですね。今、言語化するならば。

基礎練しかやらせない運動部なんて自分にとっては存在価値なんか無いことが、小4から小5の1学期まで所属したサッカー部と、中1のバスケ部でよーくわかった。

ちなみに高1で自転車部に入って、そこは毎日30キロくらいロードバイクで走りに行くので楽しかったが、ある時幽霊部員の2年生がやってきて、競輪用の玉ヘル(くっそ重い鉄兜)でロードバイクに乗れと強要した。名前は忘れたけれども柄の悪いやつだった。きっと頭も性格も悪かっただろうからいまごろどっかで不幸になっていて欲しい。

その翌日から自転車部にも行かなくなった。つまり止めた。

三つの運動部体験から自分が学んだのは、自分は体を動かすのは好きだけれども、愚かなマネジメント下で体を動かすのは人生の無駄だと考える人間だということだった。

高校は2年のときに演劇部をやって、これは極めて楽しかった。受験とともに引退した、あれは本当に楽しかった。わけのわからない強制が無かったのが最高だった。自分は何かを強制された瞬間、その何かを100%否定して完全拒否して叩き潰したくなる人間である。強制されたという歴史そのものが激烈な憎悪の理由になる。

さてうちの息子である。

中学の部活のプレゼンを一通り見て、興味をひかれるものは無かったから部活には入らないそうだ。

正しい選択だと思う。

彼は既に学校などという狭い世界には生きていない。Coderdojoやミニ四駆コースでどんどん友人を作り、ネットで交流し、ものを作っている。それがやりたいことなのだから、そこにどんどんリソースを放り込んで行くのが正しい。

周囲の声に惑わされてはならない。自分の人生は自分のものだ。
内申点で有利だなどというのは都市伝説だ。
実際に都立高校の中の人たちに確認した。都立で部活内申点が受験に関連するのはごく一部の特殊事例だけ。私学でも部活内申点が考慮されるのは学力ランキングで真ん中より下のところが、部活皆勤の中学生を好んで採るそうな。それって社畜ファクトリー?

結論。やりたいことをやれ。