結城幸司さんと、ついさっき電話でお話をしました。もちろん「先住民族サミット」についてです。藤崎達也さんは結城さんを評して「非常に強いオーラを持つ」人だとおっしゃっていたのですが、そのオーラは電話線を通してもブリブリに伝わってくるものでした。声からして熱い。そして深い。アイヌを含む日本列島住人がいかにして幸福な共存共栄を目指すべきか、結城さんの足下に穴が開いてブラジルまで貫通しかねないくらいに深く、考えておられます。
ということはですね。私思うに、アイヌではない、あるいはアイヌ以外の日本列島在住マイノリティでもない人間もまた、結城さんと同じかそれ以上に深く、同じ問題をきちんと考えていなければいかんのですよ。
ただ、私が言おうとしているのは「正直スマンカッタ」と懺悔しようキャンペーンの話ではありません。そんなコンセプトはもう古い。20年前に賞味期限が切れている。私が言いたいのは、みんなでこれからの話をしようじゃないかということ。時間はあるようでない。未来について語らないといかん。
それでですね。結城さんの力強い声を聞きながら私が思い出していたのは、ウェンディ・コップの回顧録の一節。素敵な英文なんで原文も引用しておきますよ。
First, it will take committing ourselves to the vision that one day, all children in our nation will have the oppotunity to attain an excellent education. We aspire to be the most just, most fair nation, a nation of equal rights and equal oppotunity. We aspire to be a nation in witch universities, Supreme Court benches, and corporate boardrooms are diverse; to be a country of racial harmony; to live in safe commuities. If we aspire to these things, then we must address the fact that one's place of birth in the United States largely determines one's educational prospects.(Wendy Kopp, ONE DAY, ALL CHILDREN, publicaffairs, 2001, p174.)
「第一に私たちは、いつか私たちの国の全ての子供が一流の教育を身につけるという目標を、自身に誓わなければならない。
私たちは世界で最も公正で最も平等な国家を、そして平等な権利と平等な機会が保証された国家を目指す。私たちは、多種多様な出自を持つ大学教員たち、最高裁判所の裁判官たち、企業役員たちが存在する国家を目指す。私たちは様々な民族が協調して暮らす国を目指す。何故ならば、それこそが安全な社会を実現するからである。
さて、もしも私たちがこうした国家を目指すならば、次の事実を指摘しなければならない。すなわちアメリカ合衆国においては、ある人物の生まれる場所が、その人物が獲得しうる学力をかなりの範囲で規定してしまうという現実である。」
どうですか、このシンプルな論理。「安心して住める社会にしたいのなら、生まれによって有利不利が出来るような状況を放置してはいかんですよ。」と、要はこれだけですよ。その為の方法論も、補助金バラマキとかアファーマティブ・アクション(マイノリティには点数で下駄を履かせるとか、評点が同じならマイノリティや女性を優先しようというやり方)じゃないところがウェンディ・コップの良いところでね。彼女は「マイノリティや貧困層のコミュニティにこそ、最優秀の人材を投入する」という方法論でアメリカの公教育を変えていこうとしている。
振り返って考えてみましょう。今、日本で「アイヌの大学教授」「アイヌの最高裁判事」「アイヌの上場企業役員」がどれだけ居ますか? 「アイヌの国会議員」は? あまり聞いたこと無いですよね。それって普通に考えてアンバランスじゃないですか。じゃあどうすれば良いんだ。こういったポジションに「アイヌ枠」を作れば良いのか?
そいつは違う。きっと違う。アイヌの血を引く子供たちが持って生まれた能力を最大限まで伸ばせるような状況を作ってやれば、きっとこういうポジションにもアイヌの方々が普通に入って来られるはずです。時間はかかるかもしれんけど。その為には何をどうすれば良いのか? 多少の滑稽さはありますけれども、それこそガチンコ入試で東大にアイヌの子弟を年間何人合格させるというミッションを持った補習プログラムを組むとかでも良いと思うんですよ。応急手当としてね。
実は社会的弱者というのは、そういうメインストリーム勝ち組ルートにあらかじめ乗れないようになっていることが多いんです。これを「社会的排除」と呼びます。ですけれども、「社会的排除」の勘所を押さえてメインストリーム勝ち組ルートに参入出来るバイパスを作ってやれば、後は少しずつでも自力で状況を変えていけるんですね。
これは私個人の考えですが、これからしばらくの間、先住民族を巡る問題のかなりの部分は、こうした社会的排除を迂回させるバイパスをいかに作っていくかという議論になると思います。で、そういう議論は先住民族の方々だけでやっていただくよりは、みんなでやった方が良いと思う。
結論を言うならば、アイヌではない日本列島住民もどんどん「先住民族サミット」に行こうじゃないのとなります。7月の北海道は快適だぞ。