知への欲望を喚起する仕事をしていたことがあります。昔の話ですが。

3週連続で若い美女たちとデートシリーズの1回目から帰ってきたら、GWに関東に戻るんで久しぶりに・・・というメッセージが卒業生から来ていて、4週連続というのが現実味を帯びているんです。
が、ここで圧倒的に大事なのは、お座敷がかかっているのは私ではなく、私が持っている知識なのだということ。
必要とされているのは私の中にある芸術学や社会学の知識と、それを個々の案件において展開するためのノウハウ。それが入っているなら入れ物は別にテッドのリボルテックだって先方は困らないんです。むしろその方がリアルおっさんより良いくらいのもんですよ。見た目ちょっと可愛いからね。ハゲのおっさんはテッドと違って目障りですから。
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しかしながら、それはおっさんとしてがっかりするとこではないのです。
元センセーとすれば、センセーし終わって5年6年経ってなお、かつてのセンセーの持っていた知への欲望を持続させているというのは、控えめに言っても勝利ですよ。良い仕事した感ある。
センセーの仕事その1って、学生の前に立ったときに、こいつが持っている知を俺も手に入れたいという羨望を感じさせることではないかと思うのですよ。このおっさんブサイクだけど、取り敢えず知識だけは認めてやると。知識だけは羨ましいぞと。そこだけは貰ってやるわと。
そうやって知への渇望を植え付けられた若者たちの中から、次の時代の知を生み出す奴が出てきたり、ビジネスの場で新しい価値を生み出す奴が出てきたりね。
それが大学の教壇に立つ者の使命じゃないかね。
だから現役の人は頑張って!