私がこのウェブログ(や本体のウェブサイトhttp://www.geocities.jp/hokulea2006/)で一貫して考えている事の一つに、「ホクレア号の取り組みに私たちは何を学ぶのか」というテーマがあります。
ハワイに1艘の奇妙な船が生まれ、その船が太平洋の島々を回って行く中で、その航跡から次々に独特の社会運動が誕生していったという現象。その船が次の次くらいに回ろうとしているのが私たちの生まれ育った島々であるという事実。しかし、これまでホクレア号が回った島々とは違って、私たちの住む島は必ずしも海に結びついた社会だけで成立しているわけではありません。オセアニアの島々が自分たちのルーツとしての航海カヌーを再発見し、航海カヌー文化を保存振興するという活動によって、青少年の教育を進めていったやり方をそのまま真似するわけにはいかない。
そこで私は「海やカヌーにこだわらず、自分の住んでいる土地の歴史や生活文化を再発見してみよう」という事を何度かこのウェブログでも提言して来ました。
さて、ある土地の生活文化全体を観察し記録し解釈するという学問領域としては、文化人類学あるいは民族学と呼ばれる分野と、もう一つは民俗学と呼ばれる領域もあります。この二つの分野は最近ではあまりクッキリと分かれているわけではありませんが、文化人類学の研究手法が文字資料も使えば、調査対象の集団と一緒に寝起きをして同じ行動をとる体験調査もやると、まあ何でもアリなのに対し、民俗学は特に口伝えで受け継がれてきた知識に注目して研究するという違いがあります。
では、こういった学問の手法をそのまま持ち込めば良いのでしょうか。
もちろん、文化人類学も民俗学も偉大な成果を上げてきた学問です。私がいつもネタにしているリモート・オセアニアの航海カヌー文化についての本も、殆どが文化人類学者による仕事です。民俗学に目を移せば、宮本常一さんや柳田国男さんという偉大な学者が日本にもおりました。宮本さんは日本でも最も多くハワイ移民を送り出した周防大島の方ですね。柳田国男さんの「海上の道」概念は、台湾島やフィリピンから黒潮に乗って日本にやってきた(「黒潮文化圏」と呼ばれます)文化要素が注目を浴びるきっかけを作りましたし、その流れで出来た「黒潮文化の会」が角川書店をバックにして2艘の航海カヌー「野性号2世」「野性号3世」を建造したりもしました。
これだけ見ても、文化人類学や民俗学が立派なのはよくわかります。
ですが、こういったプロのやり方には、プロの仕事ならではの弊害というものがある。プロの学者は「客観的な情報を集めて来て、それを自分なりに解釈してみせる」というプロセスを繰り返しています。その時に重視されるのは「客観的な情報」であること、「解釈が独創的」であることです。ぶっちゃけた話、じゃあその情報を集めて解釈した論文が世に出たとして、それが誰の役に立つのかは、あまり考えられていない(もちろんそういう点も真摯に考えておられる学者は多いですが)。
調査される側にしたら、「じゃあ調査に協力したとして、なんかメリットあるわけ?」という疑問が常について回ります。
調査する側には明らかにメリットがある。論文にして発表すれば、それは調査した人の業績になり、そういうのが溜まると大学の先生になれる。しかし、そうやって発表された論文は、原則的には「世界の誰にでも同じように理解できるもの」として書かれています。だから、英語で書かれた論文が一番偉い事になっている。英語ならどんな学者でも基本的に身につけているから、一番多くの人が読める。
論文はなるべく沢山の人が読むのが望ましく、なるべく沢山の人が理解できるのが正しい。だから論文の「偉さ」「正しさ」を、引用回数で計算するのです。インパクトファクター、略してIFと言います。沢山引用された論文ほど「偉くて正しい」。
ですがね。こういった論文は往々にして、調査された人には何のことだか全くわからんものに仕上がってしまうのです。文化人類学の専門用語が飛び交っている英語の論文。それがあなたの町について書かれていたとして、あなたそれ読んで理解できますか? 隣のおばちゃんは? 近所のガキは?
ね。学問は万人に平等なようで、実は違う。ごく一部の知的エリートにしか理解できないものが、推奨されとるんです(しかも、「調査する側」と「調査される側」が、出来上がった論文を巡ってたまに険悪になったりする。例えばhttp://emy.tea-nifty.com/book/2005/03/post_3.html)。
だとしたら、そんなやり方を私たち素人が使おうとしても、使い方もわからなければ出来上がった代物も理解不能なんだから、時間の無駄というしかない。
じゃあどうしたら良いのか?
前置きが長かったですが、やっとここで今日のテーマです。「地元学」という運動があるんです。
詳しくはリンク先を読んでいただきたいのですが、出発点は水俣でした。かつてこの町には水俣病という、背筋も凍るようなおぞましい公害病が猛威をふるったのです。しかし、公害のもとをタレ流していたのは地元の大企業。批判しようにもなかなか批判できないし、相手はお金ならいくらでもあるから、東大あたりの偉い先生を動かして、自分たちに都合が良い研究を出してくる。町の人間関係はズタズタになるでしょう。例え公害裁判が終結しても、傷ついた体と傷ついた心と傷ついたコミュニティが残る。
それを癒す為に始まったのが、水俣という土地をとにかく色々な側面から知っていこうという運動でした。地元のことを学ぶ。公害問題に限らず、何でも学ぶ。そうやってコミュニティを再生していく。
それって、ホクレア号を使って先住ハワイアンたちがやった事と同じですよね。
自分たちで、自分たち自身の足下を見つめ、学ぶこと。自分たち自身の言葉でそれを記録して、自分たち自身の言葉で地元について考えること。それは、地域にとっては、自分たちの土地について立派な英語の論文が書かれる事よりも遙かに大事で役に立つことです。英語なんかより水俣の方言で書いてみたほうが絶対に良い。
そういった運動が、日本の各地で始まっています。例えばこんな実践もある。
どうですか。あなたの町でも、いや、あなた一人でも、地元学を始めてみてはいかがでしょうか?