記憶を作る筏

 船と民族集団のアイデンティティというお話をするなかで、一つ、忘れられない船があります。実在の船では無いし、名前もついていない。ですが、きっとみなさんもご存じの船だと思います。

 時は19世紀初頭、イリノイ州とミズーリ州の州境にあるセント・ピーターズバーグの町はずれ、ジャクソン島から出発したこの船は、ミシシッピ河を流れ下り、アーカンソー州パイクスビルまで、一人の少年と一人の逃亡奴隷(途中で詐欺師二人も便乗しますが)を運びました。

 少年は飲んだくれの父親や小煩い里親から逃げ出す為、逃亡奴隷は主人に深南部へ売り飛ばされる(=妻子と離ればなれになる)恐怖から、名もない一艘の筏に乗り込んで船出したのでした。

 ご存じ『ハックルベリイ・フィンの冒険』です。

 逃亡奴隷ジムはミシシッピ河沿いのカイロの町から北部(奴隷制度を廃止している)へと逃げ出す腹づもりでしたが、深い霧の夜に筏はカイロを通り過ぎてしまいます。しかし筏には上流へと遡上する能力がありません。どこかでカヌーを手に入れてミシシッピ河を漕ぎ上がるしかないと判断した二人は、そうこうするうちに行きがかりで二人の詐欺師を同行させる羽目になり、数々の騒動に巻き込まれていくのです。

 二人の詐欺師はウィルクス家のお家騒動に首を突っ込んでお縄にかかりますが、そのドタバタの中でついに逃亡奴隷ジムもフェルプス家に捕まってしまい、ハックルベリイはジムを救い出すべく乗り込んでいくのです。もちろん最後にジムは自由となり、大団円を迎えます。

 ところで、このお話の中で最大の見せ場は、ウィルクス家のお家騒動終結直後、ジムが捕まった事をハックルベリイが知った時に訪れます。というのも、ジムの持ち主だったワトソンさんは、ハックルベリイの恩人ですし、逃亡奴隷を助けた奴は地獄に堕ちるのだという話をハックルベリイたちは生まれたときから散々に聞かされて育ちましたから、ここでジムを助けに行くということは、すなわちハックルベリイが地獄に堕ちることを意味するのです。

 最初、ハックルベリイはワトソンさんにジムの居場所を知らせる手紙を書きます。ワトソンさんの所にはジムの妻子がいますから、どうせ奴隷のままならば、妻子と一緒のが宜しかろうという判断です。

 しかし、手紙を書き上げた後にハックルベリイは考え込んでしまいます。ここでジムを見捨てれば、ミシシッピ河を旅して来る間にジムとの間に築かれた友情に背を向けることになるからです。しばし悩んだ後、ハックルベリイは明快な答えを出します。

「よし、それならば俺は地獄に行ってやるさ。」

 たとえ地獄に落とされようとも、友人は助ける*1。
 そしてその言葉通りハックルベリイはジムを助け出すのです(実はこの時既にジムは元の持ち主の遺言で自由の身になっているのですが、それを知りながらわざわざ騒動を大きくして楽しんでいるトム・ソーヤーのせいで話がややこしくなりました)。

 ここには、WASP(アメリカ白人の主流派であるイギリス系プロテスタント)の民族の記憶が凝縮されているように思いませんか?

 ハックルベリイもまた、黒人をナチュラルにバカにしています*2。黒人は白人とは違う。黒人は下等な存在である。そういう社会の価値観の中で育ったのだから、それは当然のことです。ジムと旅をする間も、ハックルベリィは常に「逃亡奴隷の手助けをしている自分」に後ろめたさを感じ続けています。しかしジムとともに幾多の試練を乗り越える中で友情を育み、ついに自分が生まれ育った社会の価値観を、自らの魂を賭けて乗り越える。

 これは実は、WASPの美しき歴史、すなわち自らの手で黒人差別から黒人解放へと進んだという歴史観の精妙な翻案に他なりません*3。ハックルベリイとジムが旅したのが、アメリカの南北を繋ぐ大動脈であるミシシッピ河というのも極めて象徴的です。彼らは『ハックルベリイ・フィンの冒険』を読みながら、自分たちの歴史を(トム・ソーヤーをはじめとする、古い価値観からついに抜け出せなかった登場人物たちではなく)ハックルベリイ・フィンの旅路に重ね合わせているのでしょうか。

 私にはよくわかりませんが、アメリカ白人にとって、ミシシッピ河とそこを行く船というのは、ピルグリム・ファーザーズを運んだメイフラワー号と並んで、やはり何か自らのアイデンティティやルーツを投影しうる存在なのでしょう。同様にアメリカ黒人にとっては、アフリカ西岸から大西洋を越えて来た奴隷貿易船が特別な意味を持つのでしょうし、アメリカ華人にとってはサンフランシスコへと向かう移民船がそれに当たるのでしょう。

 こう考えてみると、アメリカ合州国というのは、航海カヌーも含めて様々な船に様々な記憶を託していると言えますね。

 では私らは何かそういった船がありますかね。戦艦大和? 最初から最後まで満遍なくアホだったあの役立たずのドンガラは、たしかに日中戦争から太平洋戦争という日本近代史のアホの象徴だとは思いますが・・・・・なんかもっと他に無いですかねえ・・・・。

*1 私たちには想像もつかない事ですが、アメリカの中南部というのは福音主義といって、聖書に書いてあることは全て事実だと考える人が何割というオーダーで住んでいる地域です。つまり人間は神様が作ったのであり、いつか最後の審判がやってくると心の底から信じていて、学校で進化論を教えると猛然と抗議してこれを止めさせ、妊娠中絶手術をした医者がいれば暗殺しに行く、そういった価値観の中で、敢えて地獄に堕ちてまでもと決断するのは、極めて重大なことなのです。

*2 作者マーク・トウェインは実は南北戦争の時には南軍のヘタレ志願兵(2週間でトンズラ)だったりしたのですが、そういう過去もまたこの作品を書く肥やしとしたのでしょう。

*3 無論、差別されていた側からすれば別の感想がありますから、1960年代の公民権運動があったわけです。半ば演出的意図があると推測しますが、マーク・トウェインは基本的には黒人をモノと見る人々の価値観に沿った文体を使っていますから、『ハックルベリイ・フィンの冒険』は必ずしも黒人への受けは良くないと聞きます(余談になるのですが、昨年来日したデフ・ウェスト・シアターDeaf West Theaterによるミュージカル「BIG RIVER」では、ジムの人物造形は原作からかなり変わっており、知性と勇気を備えた誇り高い人物として描かれていました)。