レポート作法反省会「無くて七癖悪い癖」

 4月に書いてもらったレポートをチェックしている最中ですが、ここまで見ただけでも、皆さんにはほぼ共通する幾つかの悪い癖があるように思います。以下に列挙しておきますので、次回以降は積極的にこれらの悪癖を修正しながらレポートを書いてください。

1:事実の紹介なのか、誰かの見解や考察なのかが識別出来ない文章は書かない。

 レポートや論文に書き込まれる記述には3種類があります。

物証や多くの目撃証言、文献史料上における多数の記述があり、疑いようのない事実だと考えて差し支えないこと。

B:レポートや論文の書き手以外の意見

他の文献に書かれている意見や、インタビュー調査によって書き手が聞き取ってきた意見。

C:レポートや論文の書き手自身の意見

あなた自身の考え。

 これらABCは、そのレポートや論文を読む全ての人間にとって容易に識別可能な状態でなければいけません。ところが皆さんのレポートの多くでは、事実と他人の意見と自分の意見を見分けられない書き方になっています。これはいけません。

 そこで、次回以降提出のレポートでは以下の書き方を厳守してください。守られていない場合は減点が行われます。

客観的事実を記した部分

・「~は~である」「~は~を行った」のように、簡潔に事実関係を記す。
・「太陽は明るい」「カナダは北アメリカにある」などの常識的事実以外のことがらを示す際には、必ず出典(その事実が書かれている資料の書誌情報とページ数)を、エディターソフトの脚注機能を使って示す。

例:「第1回目の〈森の健康診断〉は、2005年6月に愛知県豊田市で実施された1」

他人の意見を記した部分

・必ず「誰の意見なのか」がわかるようにする。
・基本的な方法としては「○○は××について、~~と考えている」「○○によると、××は~~とされている」というように、まず誰の意見かを最初に示し、次にその意見や主張の内容を簡潔に記す。
・出典の示し方は同様。

例:「森本によると、デイヴィドソンは、言語による意思疎通行為において話し手と聞き手以外の超越的な第三者的立場を成立しえないと考えていたとされる2。」

自分の意見を記した部分

・出典が示されないまま、「~と考えられる」「~と思われる」「~ではないだろうか」などの語尾を用いて、客観的事実ではなく誰かの考察や見解を記した部分は、全てレポートの書き手自身の考察や見解と見なされます。
・実は誰か他の人の意見や考察だったのに、自分の意見に読めるように書いていることが発覚すると(こういうことはまず確実に見破られると思った方が良いです)、あなたの評価は下がります。
・「気の利いたパクリ」よりも「垢抜けないけどオリジナル」の方が高く評価されるのがレポートや論文です。
・自身の見解や考察を示す際には、論理と客観的事実を積み重ねて、充分な説得力を持たせるように。深く考えずにその場の思いつきを書くのは簡単ですが、それでは実力が身に付きません。

2:議論の前提となる事実関係の整理は最初にまとめて全部やってしまう。

 いつ、誰が何をしたとか、その結果何がどうなったというような事実関係の列挙と整理は最初に全部やっておしまいなさい。議論はその後で始めること。事実関係を細切れに書くと「事実関係の全体像が見えなくなる」「同じ話が何度も出てきて鬱陶しい」という弊害があります。

3:文章は短く、簡潔に。

 一つ一つの文章は出来るだけ短くしましょう。ポストコロニアル系やカルチュラルスタディーズ系の社会学者の中には、だらだらと文章を長くして(極端な場合には英文の文献1ページに文章が2つか3つしかない)自分でも何を書いているのかわからなくなっているような者もおりますが、絶対に真似しないように。そういう文章は同類(=特殊な社会学者)の間でしか評価されません。日本の一般的な職場においては、そのような文章は上司にも同僚にも部下にも取引先にも消費者にも軽蔑されます。
 客観的事実でも誰かの意見でも、余計な修飾は不要です。必要不可欠なこと以外は書かない。同じ事実や意見は二度も三度も書かない。これらを肝に銘じてください。

4:自分の意見を書くのは後半に。まとめて。

 レポートの前半から「~と思う」と書いているレポートが少なくありませんが、「~と思う」という語尾は書き手自身の考えであることを示しています。前にも書いたように、書き手自身の考察は最後にまとめてやるものです。ごく単純に言うと、レポートの最初の3分の1では客観的事実だけを書き、次の3分の1では他人の意見や考察だけを書き、最後の3分の1ではじめて自分自身の意見を書くのです。

5:「~と思う」は出来るだけ使わない。

 上で書いたように、書き手の個人的な見解の披露は最後にまとめてやるものです。また、前後の文脈から判断して明らかに客観的事実ではなく誰かの見解であるような記述であり、なおかつその見解を提示した人物の名前が示されていない場合、その記述はレポートの書き手の個人的見解であると解釈されます。ということは、レポートの終盤で書き手の独自の考察を披露する局面に入って以降は、わざわざ「~と思う」などと書き足さなくとも、客観的事実の(出典を示した上での)指摘以外の全ての記述は、書き手の思索の内容として読まれます。
 となると、書かなくても良い「~と思う」をわざわざ付け加える文体は、「短く、簡潔に」というレポートの書き方の基本から外れていると言えます。