ピンチの後にチャンス有りかもしれないし

 半年あまりの休眠から目を覚ました藤崎達也さんのウェブログがまた面白いです。

 今回は「ニート」論。

 NEETの概念はかなり多義的で、こと日本に限って言えば統計上「ニート」に分類される人々の中でも「仕事をする気がない人々(マスコミが煽り立てているイメージ)」に該当する集団は、表面上の数字の数割以下だし、その数はバブル崩壊前と殆ど変わっていない。ここまでは研究者によって既に明らかにされています。

 マスコミやお役所はそういう研究を無視してますけどね。

 しかし、バブル崩壊から昨年度あたりまでに学校教育を終えた世代が相当に割りを食ったのは間違い無いわけでして、それを藤崎さんは仮に「ニート世代」と呼んでいます。

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 香山リカは「貧乏くじ世代」なんて呼んでいますが、ともかく現在30代半ばから20代半ばまでの世代。ご存じのようにこの世代は正規雇用率が極端に低く、政府は「再チャレンジ支援」と称して何か政策を考えているようです。ただ、その発想の欠陥を藤崎さんは的確に指摘する。つまりこの世代は「やる気が無い」のではなく、仕事へのスタンスが前の世代と異なっているのだと。学校を出て就職してそのまま一生その会社、というのではなく、学校と就職の間に「自分探し」と彼らが呼んだ(「モラトリアム」と呼んで罵声を浴びせるオヤジもいましたが)、労働でも学業でもない時期を挟もうとしたわけですね。

 不幸にも彼らが社会人になろうとした時に未曾有の大不況が直撃したせいで、「自分探し」をした人の相当数が正規雇用にたどり着けず、今や「愚か者」として嘲笑されているわけですが、藤崎さんはここに可能性を見ます。

 つまり、この世代は「自分探し」や「様々な非正規雇用」の結果として、上下の世代よりも、蓄積された経験の多様性において優れていると考えるのです。言われてみれば確かにそうでして、良くも悪くも変な経験、単純に学校・会社・家庭と移行しただけでは味わえない異様な経験をこの世代は重ねてきた・・・・重ねざるを得なかった。

 これを藤崎さんは資源と見る。

 現在、この世代が正規雇用の対象にならないのは、既存の企業がこうした多様な経験の蓄積を生かすノウハウを持たないからです。雇ったとしても、どう使って良いか分からない。結局は「経験者」「技術のある人」「資格のある人」という、既存の物差しで「使える」ことが分かっていて、「使い方」もわかっている人材しかピックアップしないとなる。

 一方、藤崎さんのSHINRAは、その「変な経験」を経営資源として生かすというスタンスを取っている。

 これは面白いですよ。面白いことの芽があると思う。

 ここ数日で話題になっている、例の架空履修問題などは、結局は大学受験が人生最初で最後の勝負、ここで負けたらリカバリーは難しいという冷静な認識を背景として発生していると私は見ます。というのも、バブル経済以前から「会社人間はつまらない」というイデオロギーを社会が共有したにも関わらず、バブル崩壊後の15年で明らかになったことは、「会社人間以外は二等国民扱いされるのが日本という国である」という寒い現実だったからです。「自分探し」をした人間は人材としては売れ残りのバナナ程度の価値しか与えられないことが判ってしまった以上、やはり「なるべく良い大学に入って良い会社に入って」という選択が合理的だよなとなる。ならば多少の「抜け駆け」をしても、良い大学に合格してしまった者の勝ちです。だよな?

 このような社会を変える可能性を持っているとしたら、それは藤崎さんの言う「ニート」世代である。何故ならば、彼らには他の世代に比して多様な経験の蓄積があるし、またこのような社会を変えない限り、彼らに上がり目は無いから。

 この理屈は、無論他の世代からは冷笑されるでしょうけれども、藤崎さんと同世代(=「ニート」世代)の私としては、藤崎さんの側につきたいですね。要するに、私たちの世代が、これまでに蓄えた変な経験の数々を見事に金に換えて見せれば良いわけです。面白いじゃないですか。工夫次第で可能性はある。そう思いますよ。