稲城市の行政への要望を市民が自由に出せるコーナーがあるのですが、その2010年10月分に、以下のような投稿がありました。
館内で大きな咳を長時間し続けた方がいたのですが、図書館の職員は誰も注意をしませんでした。咳をするといっても限度の問題で、限度を超えていたので注意すべきです。 図書館内は、静かでない者は、理由のいかんを問わず、帰ってもらうようにできないのでしょうか。
この要望、何か変だと思いませんか?
そんなに咳が気になるなら自分で注意すれば良いのではないかと私は思いました。それと、中央図書館は以前から幼児が少し声を出しただけでも職員が飛んできて文句を言うという悪評があったわけですが、きっとこういう利用者からの苦情が多いんでしょうねえ。
そんなに咳が気になるなら自分で注意すれば良いのではないかと私は思いました。それと、中央図書館は以前から幼児が少し声を出しただけでも職員が飛んできて文句を言うという悪評があったわけですが、きっとこういう利用者からの苦情が多いんでしょうねえ。
最大の問題は、行政頼みで自分は苦情を出すだけという発想だと私は思います。自治が出来ない。咳をしてるんならまず自分が注意すれば良いし、幼児がうるさいと思うんなら、自分で保護者に注意してみれば良い。当然、わかりましたじゃあ帰りますという話にならないこともあるでしょう。少なくとも私は幼児を連れた親の側に立ちますから、そんな議論が始まっていれば迷わず「じゃあ育児中の親は図書館に来るなということでしょうか?」と反論で加わります。
本当の市民自治ってのは、そういう、市民同士の間での議論を通して成熟していくものだと私は考えます。市民同士での話し合いは面倒くさいとか気後れするといった理由で回避して、職員に苦情を持ち込む。職員板挟み。自分たちの図書館なんだから、自分たちで話し合って落としどころを見つけようぜというのが、本来のあり方でしょう。とにかく行政にネジこんで、何とかならなければ全部行政の責任。その発想の延長に、近所の民有緑地が開発されるから税金で買え、金融機関は融資するなけしからん、開発業者はヤクザの企業舎弟だと騒ぐ例の病気があるような気がします。
図書館も図書館で、PFI方式の悪い部分かと思うのですが、市民と一緒にローカルルールやマナーを練り上げて成熟させていこうという発想に欠けているようにも思います。
稲城市中央図書館、施設は立派ですが、ソフトウェアはまだまだβ版ですね。