ググる・サエズる・ポチる<(越えられない壁)<

 世の中には変わった人間が結構いるものでございます。

 周囲から「あいつ変だよね」と言われる人間や「あいつ凄い」と言われる人間ね。ただ、その「変さ」の中には二つの方向性があるように最近思えます。変なだけで人畜無害、別の言い方をすれば箸にも棒にもかからない奴と、何かしら圭角があってそれが良くも悪くも世の中をシェイクしている奴。

 我が畏友、トレランのJUN選手などは後者です。本人は「ただの趣味」とうそぶいてますが、シーズン中は毎週のように野山を100キロくらい走り込み、国内国外のトップクラスのコンペティションに片っ端からエントリーして表彰台争いをしているスーパー山ガール。本人は本当に趣味のつもりですが、既に趣味を越えて仕事に繋がり始めているし、実際に世の中に影響を与え始めてます。

 そうではない、道ばたに置いてある意味不明の3流現代アートみたいに変な人間というのも、最近はよく見かけるようになりました。変なんで一瞬は人目をひきますが、それで終わり。一瞥されて忘れられる感じの人。特にネット上にいっぱいいますね。ブログとかツイッターとかのお手軽ウェブページ作成サービスが、こういう人を増やしている気がします。

 この手の人々の特徴は、「つくらない」こと。コピペとリンクを集積することで自分が個性的な人間であるということをアピールしようとする。ネット上に紹介されている新しい・珍しいネタをいち早く自分のブログやツイッターからリンクし、一言二言書き添えるという作業を毎日繰り返す。

 たしかに変なアイテムや変なニュースや変な楽曲や変な動画にリンクされていれば一瞬、人はそこで立ち止まるですよ。でも、そういうページはそれこそ山のようにありますよって。BOTで自動生成しているとこも多いし、いちいち気に留めちゃいられない。だから一瞥して立ち去る。20秒後には忘れられている。

 要するに何の話か。

 「ググる・サエズる・ポチる」は程々にしとけって話です。これらの動詞は人間の中身を作ってくれませんから。だって、既に誰かが作ったものを消費しているだけですからね。「個性的な消費スタイル」をアピールすることで自分がスペシャルな人間だと思いこんでいるのだとしたら、それは空しいよ。その「個性」は一瞥されて忘れられる「個性」なんだからね。

 世の中で一番価値がある行動は「つくる・そだてる・まもる・たすける・とどける」の五つです。ネット上でいくら「ググる・サエズる・ポチる」のユニークさを誇ってみせても、リアルの世界では全くオーラは出ません。同じ平成元年生まれでも、ネット上での「個性的な消費」を演出することに必死な大学3年生と、この4月に短大を出て幼稚園で必死に子供たちを育ててている新任の先生では、後者のが遙かにクールで格好良いのです。その格差は絶望的なほどです。

 さて、この五つの中のどれかが出来る力を身に着けるためにしなければいけないことが「まなぶ・きたえる・たえる」です。字面見ただけでわかりますでしょ。「ググる・サエズる・ポチる」とどっちが大切かなんて。そこには永遠に越えられない壁があります。

 「ググる・サエズる・ポチる」ことに時間や体力を食われて「まなぶ・きたえる・たえる」ことをしないのであれば、その若者の将来はちょっと暗雲の中に消えているように思います。