信頼される身体

 先日のインターンシッププログラム・プレミーティングは、予想外の発見をもたらしてくれました。

 身体の問題。

 これはパートナー企業のご担当者の方からもご指摘いただいたのですが、腰が引けてるのですよ。言葉通りの意味で。腰が据わっていない。ビシッと立っていない。体に芯が通っていない。どちらが原因でどちらが結果なのかは不明ですが、自信を持っているように見えないし、実際に話をしてみると、自分たちが持っている強運や抜群の知的能力に対する自信が全然無い。

 ここで浮上してくるのが「コミュニケーション能力」という例のバズワードです。濁音じゃなくて半濁音な。アイホンのちっこい画面で読み違えるなよA0木。

 えーと話を戻しましょう。インターンシッププログラムに参加している学生たちは、実はお互い非常に仲が良いし結束も堅い。加藤というえげつない野郎に散々痛めつけられたという経験を共有しているからなんだと思いますが、ゼミが完了した後もお互いに誘い合って東京ディズニーランドに行ったとかスノボに行ったとか旅行に行ったとか。つまり、仲間とのコミュニケーション能力は大変よろしいのです。バイト仲間とかサークル仲間とか、気心の知れた相手とはとってもうまくやれる子たちです。

 ほんじゃ何ができないのか。要はちょっと固い場面に出ると固まっちゃうのね。馴染みの無い目上の人間とスムーズにコミュニケーション出来ないし、いつもの仲間とでも、私が仕掛けたみたいにいつもと違う状況を作ってやると、もうコミュニケーションが出来なくなっちゃう。そういう場面でどう振る舞って良いか全然わからないから自信が無く、自信が無いから体がガチガチになり、普段からさして出ているわけではない声がさらに出なくなっちゃうと。ホワイトボードの前に一人立たせてみると、もうその立ち姿からして「はやくここから逃げ出したい」というメッセージがビンビン伝わってくる。

となるとこれは、アポ取って商談に行ってプレゼンして仕事取ってくるなんて、今のままじゃ絶対出来ないわけですよ。体中から「早く帰りたい」オーラが出ている営業マンを誰が信頼して、取引しようと思いますか? 困ったもんだ。

だが一方で、「そんなこたあ大学で教えるもんじゃねーだろ。」「就職して経験積めば何とかなるんじゃねーの?」って話もありますね。お前は人材コンサルかよと。確かに彼ら彼女らも首尾よくどっかの会社入って新人研修でロープレとかやらされて、そのうち営業の現場も経験して、それ風の立ち居振る舞いは身に付けていくんでしょう。それくらい知ってますよ。でもねえ、大学出て2年3年4年5年、それくらいのお兄ちゃんが営業トークしてるのたまに見ますけど、あれも嘘くささという点では五十歩百歩。「できる営業ってこんな感じかな? 俺、ちゃんと演じられてるかな?」って内心が、私みたいな邪悪な人間には手に取るようにわかる。要は上辺をデコレーションしてるだけなんですわ。

 何が違うんだって? そこですよお客さん。俺が人材コンサルのお試しキャンペーンじゃなくて大学教育の延長としてこれをやっている根拠がどっかにあるとすれば、この辺なんだ。
 
 何故、君たちはちゃんとした声で見知らぬ他者に語りかけられないのか。何故、君らの呼びかけや半人前のセールスボーイの声が嘘くさいのか。それをきちんと説明しようとすれば、哲学における他者論やコミュニケーション論、身体論の議論の領域に入らざるを得ません。他者とは何か、他者とコミュニケートするとはどういうことか、身体とは何か、コミュニケートする身体とは何か。これらは、私の博士論文のテーマと8割は重なる話です。次回はそこまで掘り下げて講義し、もう一度自分たちの身体とコミュニケーション技法を見直してもらう。そういうワークショップをやりましょうということで、パートナー企業の担当者の方とも詳細を詰めています。

 考えてみれば、他者とのフェイストゥフェイスのコミュニケーションとは、これすなわち社会の最小単位ですね。いわゆる現象学的社会学。現象学的社会学から身体論を経てコミュニケーション論の講義、そしてビジネスの最前線で威力を発揮する「信頼される身体」の探求へ。これを90分の座学ではなく半日かけたワークショップで学ばせるつうんだから、もうどう考えても社会学とビジネスのコラボレーションということで文句無いでしょう。

 これが立教大学文学部の底力ですよ(←え?)