広島ではナイノア氏の講演会があった「広島市こども文化科学館」を入港の前日に訪問しました。ここで6月3日まで上映していたプラネタリウムのプログラムの監修を手伝いましたので、ご挨拶がてら。
広島市こども文化科学館というのは市の施設で、職員さんの中には小中高の教職員だった方や出向という形で来ている現役の教職員もおられる、かなり教育に重点を置いた施設です。そこでプラネタリウムのプログラムの反応について色々と話を伺うことも出来ました。
驚いたというか、私自身も気付いていなかったのは、例えばウェイファインディングの話をするのでも小学生にはまず「東西南北って何か」という所から始めないと駄目だという指摘。東西南北を習うのは小学校4年生ですし、北極星を習うのは小学校6年生なんだそうです。だからそれを知らない子供たちにいきなりウェイファインディングの話をしたってそれこそ話になりませんと。特に小学校では理科系の学問を修めた教職員は少ないので、それもネックになっていると。
私は「学力低下」とか「ゆとり教育のせいだ」とか「教員のレベルが低い」という話をしているんじゃないですよ。少なくとも統計上、「ゆとり教育」によって教科学力の絶対値が下がったというデータは出ていませんし、日本の教職員のレベルは諸外国に比しても結構高いです。きっと20年前の小学生だってウェイファインディングの理屈は理解出来なかったでしょう。そうではなくて、子供の発達段階やカリキュラム構成をきちんと理解していかないとホクレアの教育プログラムは上手く行かないよねということ。
残念ながらこの日本航海では教育現場と連携する準備が不足していた印象は否めません。特定の学校を対象として成功した例があるのは知っていますが(広島の国泰寺高校や周防大島の大島商船高専ね)、難しい話をしすぎて生徒が置いて行かれた学校もあったとか無かったとか。
ですが、そういった成功例はそれぞれの学校の教職員集団がホクレアというものをきちんと勉強した上で、自分のところの生徒たちの現状、特性に合った形で加工し、提示していったからこそのものです。ホクレアというテーマを個々の受け入れ先に合った形にアレンジし、すり合わせていく役割がいかに重要かということです。
この点では私、ポリネシア航海協会の姿勢に少し疑問があるんですよ。ホクレアが日本に着いたのが4月。つまり新年度ですね。で、年度末・年度初の学校というのは戦場ですから、そんな時期に「すいませんホクレアなんですが」と話を持ち込んだって、一昨日来やがれとなって当然。実際、ホクレア関連の教育プログラムを提案しても梨の礫、みたいな事例が少なくなかったようですし。
翌年度の各学校の年度計画はだいたい前年の12月くらいには大枠を決めてしまいますから、本気でホクレアの学習をして欲しかったら、2006年の夏休み明けには話を持っていく必要がありました。そんなことは現場の教職員と30分でも話をしていれば教えてくれる程度の基本ですし、そういった話を私は2年くらい前にポリネシア航海協会の関係者にきちんと説明もしました。「ホクレア寄港地教育・科学イベント支援委員会」にも現役の教職員や教育学者が一人も入っていないじゃないですか、それってマズいですよと、これは後藤先生に申し上げました。社会科教育法の先生や現役教員ならいくらでもご紹介しますからと。
いくら天下のホクレアとはいえ、それだけで何の準備も無しに乗り込んで上手く行くほど日本の学校は甘い場じゃない。日本の海を行くホクレアが日本人の水先案内人を付けたのと同じように、日本の学校という嵐の海に乗り込むのなら、現役の教職員という水先案内人たちともっともっと早く、もっともっと緊密に連携しておくべきだったんじゃないのかな。
とはいうものの、もうホクレアの日本航海も終わりに近づいています。ホクレアに実際に触れたり乗ったりして、あるいはクルーと交流してという教育実践をこれから企画するのは不可能でしょう。しかし、ホクレアの日本航海から始まる教育実践にはまだまだ工夫の余地がある。「ホクレア寄港地教育・科学イベント支援委員会」の方々の腕の見せ所は、実はこれからですね。後藤先生も一過性のもので終わらせない為にと常々おっしゃっていますし。私個人はホクレアという個別の事例を単純に子供たちに紹介するような教育実践に興味はありませんが、より普遍的なものを学ぶ学習の一つのアイテムとしてホクレアやその周辺の事例を提示していくということには、取り組んでいきたいと思っています。
あ、そうそう、ナイノア氏が広島市こども文化科学館に持参したお土産もマカダミアナッツ・チョコだったって(笑)。実は本人も気に入ってるのかな?