あるくみるきく真似

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 今日のホクレアご一行様の予定は午後の講演会とカヌー見学会です。

 朝イチで周防大島町の方に頼まれた翻訳を送稿してから宿を出て、私は島の南側、つまり愛媛県に向いた面に向かいました。ハワイ移民を4000人も出した島(人口の数割というレベルですよ)とはどんな場所なのか、実地に見聞するためです。昨日までは島の北側を走り回っていたので、今日は裏側を覗いてみようという魂胆。ホクレアご一行様とは直接関係無いように見えますが、そもそもこの島からそれだけ移民が出なかったら、多分ナイノア氏はウェイファインディングを創始出来なかったでしょう。やはり大事な問題です。遠回りに見えてもね。

 さて、島の反対側の海に出た私はいきなり歓声を上げます。無茶苦茶綺麗な海ですよここ。ハワイの海にもこれはまず負けませんね。論より証拠です(画像1)。

 嬉しくなっちゃった私はぶらぶらと低速で海沿いの道を流します。集落に入ると目に付くのはおばあちゃんと子供ばかり。まあ平日だもんな。自転車に乗った中学生のお嬢さんたちが擦れ違いざまに挨拶してくれます。私は思わず質問「学校はどうしたの?」

 テストなんだそうです。平和だなあ。東京じゃあテストなんか2日で片付けちゃって授業授業ですよ。私は断然こっちを指示しますけどね。子供の顔が違うもん。うちの近所の公園にたむろしてるヤクザみたいな中学生とは全然違うね。生き生きしてます。もちろん東京にも生き生きした中学生はいっぱいいるし(確認済み)、こっちにもチンピラ中坊がいるのかもしれない(未確認)。

 ふと興味を惹かれた私は集落の奥へ入ってみることにしました。海を離れるとすぐに道は急坂になり、やがて激坂になります。とはいえ私は和田峠クラスの激坂で無ければ何本でも平気なヒルクライム大好き野郎なので、むしろ気分はウキウキ。おや? 何か不思議な建物がありますね。屋根に小さな天窓がくっついている(画像2)。もしかして潮見でしょうか。海を見るんですよ。海で生計を立てていた家が丘の中腹にあるという研究成果が近年色々出てますからね。振り返ってみるとたしかに海が良く見えるわ。

 さらに私は丘を上っていきます。なんたって前24丁の後ろ34丁ですから。ペダルが重くて上らなくなるより前に自転車がウイリーするギア比です。集落を抜けるとミカン畑しかありません。「鯛の里」松本さんに後で聞いたのですが、松本さんが子供の頃には田んぼばっかりだったのを、減反で潰してミカンにしたのだそうです。その後オレンジの自由化で大打撃だったというオチもある。いや、本当にこの辺りには田んぼが無いんですよねえ。それでオレンジ自由化は酷いやね。

 もうこの先は何も無いという所まで来ました(画像3)。こんなとこまで自転車でホイホイ上れるのかって? 出来るんです。やれば出来る。それにしても高いところに上ると、この辺が何をして生計を立てているのか一発でわかりますね。ミカンと漁業。周防大島が生んだ偉大な民俗学者、宮本常一先生はお父様に(私の居る宿のすぐ近くに家があったそうですが)「初めての土地に行ったらまずは高い所に上ってみることだ」と教えられて育ったそうですが、この島に住んでいたからこその知恵だったのかなとも思いますね。

 とりあえず海沿いの道に戻りましょう。時計回りで講演会場の大島商船高専を目指すのです。おっと、お寺がありますね。お参りでもしていくかな。境内に入ると子供の声がします。「どっから来たん?」「何でヘルメット持ってるの?」

 保育園があるんですね。園児たちが15人ばかり庭に出てきて私を見物しています。たしかに無精髭に豆絞りの手ぬぐい、サングラス、アディダスのサッカーウェアにユニクロのコンプレッションパンツの大男は怪しすぎです。「東京から来たんだよ。」「ヘルメット? 自転車で転んで頭割ったら奥さんが怒るからね。」

 何だか妙にウケてしまいました。

「そうそう、今、ハワイの船が来てるの知ってる?」
「知らん。」「知ら~ん。」「あ、あたし知ってる。」

 ホクレアご一行様も島の裏側にはあまり威光が届いていないですね。

「変な形の船だよね。」
「そうそう。タコヤキの入れ物みたいなやつ」
「タコヤキ好き~!」
「あたしね、昨日お団子食べたんだよ!」

 話が完全に食べ物の方にズレています。でも良いんです。子供は可愛いんです。とはいえ、いつまでも遊んでいるわけには行きません。保母さんの胡散臭そうな顔が怖いんです。というわけで子供たちに別れを告げて先に進むことにしました。

「バイバ~イ!!」

 みんなずっと手を振ってくれます。可愛いなあ。子供は良いよ(画像4)。