to go and kill the yellow man

 ビッグ・カントリーやアラームやU2は衒い無く故郷を歌ったと書いた。彼らにそれが出来たのは、スコットランドもウェールズもアイルランドもフリンジだったからという側面もあるだろう。

 これは、同じ頃にアメリカ合衆国で故郷を歌っていたブルース・スプリングスティーンの屈折のしかたを見ればすぐにわかる。フリンジはイングランドのフリンジなのだから、これらの土地は産業革命の前後に真っ先に植民地にされた。言わば被害者側の国だ。他所の国に出かけていって悪さを働いたという経験に乏しい。だからストレートに故郷を愛して、故郷を癒す作業に着手することが出来る。

 アメリカは違う。あの国は悪の限りを尽くして富み栄えてきた。だからスプリングスティーンは「This land is your land」を歌っているだけでは済まなかった。「The River」や「Born in the U.S.A.」も作った。きっとケネディ家やブッシュ家の子弟は絶対に経験しないような人生を歌った。

 僕の祖国はどうだったか。戦後しばらくの間、この国に住む人の自己イメージは「被害者」だったのではないかという指摘がある。加害者はアメリカ合衆国の戦略爆撃機とA級戦犯の諸君だ。それは一面の真実を突いてはいただろう。しかし、もちろん日本の「内地人」も戦争中は内外で色々と悪さをやった。そういうものの象徴として出てきたのが「従軍慰安婦」であり「強制連行」であり「731部隊」であり「南京事件」だ。

 しかし。よく見るとこれらの懺悔アイテムもまた、軍や当局がやったことばかりである。先日紹介した、沖縄漁民がカロリン諸島で現地人を気軽に殺していたというような話は、あまり出てこない。なんのことはない、日本国内の言説は「被害者」一辺倒から「被害者+加害者」へと変わりはしたけれど、結局は一部の人間に悪業の全てを背負い込ませていたのではないか。現在の東京大学医学部、当時の東京帝国大学医学部の教官たちだって、せっせと病原菌を作っては戦地の教え子たちに送りつけていたのだ。彼らの教え子たちはそれを捕虜に感染させ、そして捕虜を生きたまま、麻酔も打たずに解剖していた。悪魔でさえも鼻白む所行だ。

 もちろん、戦後生まれの僕たちが果てしない贖罪を続ける必要はない。しかし、自分の直接の祖先が無辜の人間を殺し虐待していたかもしれない、という想像のオプションは持っていた方が良い。何故ならば、そういった想像力を共有していた方が、無駄なエネルギーを使わないで済むからだ。

 宮本常一は『忘れられた日本人』の中で、こんなエピソードを紹介している。敗戦直後のことだ。諏訪湖のあたりで農地解放(地主の土地を取り上げて小作人に与えること)の話し合いがあった。議論は紛糾した。その時だ。こんなことを言う人がいた。

「皆さん、とにかく誰もいないところで、たった一人暗夜に胸に手をおいて、私は少しも悪いことはしておらん。私の親も正しかった。祖父も正しかった。私の家の土地はすこしの不正もなしに手に入れたものだ、とはっきり言い切れる人がありましたら申し出てください。」

 これで、声高に自分の正義だけを主張する人はみんな黙ってしまったという。無駄な諍いが回避されたのだ。自分の中に少量の悪を探すのはエコロジカルな振る舞いなのかもしれない。日本国もそうだが、沖縄だってかつては奄美を侵略した。中華人民共和国は西の方の少数民族を熱心に弾圧しているという。朝鮮半島の北半分を支配する政府の倫理観がアメリカ合衆国の連邦政府並みにプアなのは有名な話だ。声高にかつ一方的に他人を批判出来るような奴は世の中にはいない。いや、それをやっている奴はネットや居酒屋や「論壇誌」には沢山いるのだけれど、お互いに説得力に乏しい非難の矢を撃ちあっていても時間の無駄で資源の無駄だ。