釧路市の名門校から東大に進み、大学院では学振DCという月27万とかもらえる給付奨学金をもらい、現在はフルブライト奨学金でニューヨーク州立大でポストモダン文学を研究している31歳の大学院生が、都会と田舎の教育格差に俺は怒っているという(多分にハッタリと誇張が入っていて炎上した)記事を書いた件。
※私は東大文学部、落ちました
※私は学振DC、落ちました
※だから彼の方が学部生や大学院生としてはずっとエリート
※私は学振DC、落ちました
※だから彼の方が学部生や大学院生としてはずっとエリート
彼の並べた諸々の嘘や誇張はひとまず不問にするとして、彼の言いたいことだけを見ると、以下の二つになります。
1) 「大都市なら大学進学という選択肢を認識出来るが、田舎ではそれが難しいことが多いのは問題だ」
2) 「田舎者は情報弱者なのでインターネットで進学情報を得ることは難しい」
2) 「田舎者は情報弱者なのでインターネットで進学情報を得ることは難しい」
これについての私の考え。
1は地域格差というより収入格差の問題だと思います。田舎にも大卒はいます(公務員とか医者とか教員とか)。私も半田舎の教員の夫婦の子なので、大学進学という選択肢は当たり前のものとして見ていました。
では、親が大卒でなくて子供が大学進学という選択肢をなかなか知り得ないのは問題なのか? 問題かもしれませんが、中学や高校に紙の資料を配布したら済むんじゃないですか。
インターネットはあってスマホは持っているけど入試情報は検索しない。紙媒体の資料は学校でくれたけど読まない。
面倒見きれんよ、そんな人の人生までは。
(こちらが出典)
お金が無いから大学に進みたくても進めないという青少年には、漏れなく進学のチャンスを(たとえばGPA3以上キープで支給される、経済的負担の重くない学資ローンや給付奨学金)提供すべきです。
お金が無いから塾に通えなくて大学入試対策が弱くなってしまうという青少年にも、ネット塾などランニングコストの低いソリューションが提供されるべきです。
ここまでは「あってはならない教育格差」です。
その先は「その格差の存在が社会の流動性を高める格差」だと思います。
進学情報にアクセスできないというなら、QRコードつきのフリペをベネッセやリクルートに撒いてもらえば良い。学生集めに困っている大学がスポンサーになって。
地域として問題だと思うなら、その地域の人たちが情報提供でも塾でもやりゃあ良い。大卒人材だっていっぱいいるでしょ。教員、公務員、士業。彼らは大学の存在を確実に知っている。ネットだってつながっている。後は自分たちのアタマで考えて手を動かすだけだ。
ボーッと受け身で生きていれば誰かが手取り足取り大学の入学式会場まで連れて行ってくれる世界をお望みですか?
お引取り下さい。