数学は勉強しとくべきなのかを考えた

これは最近設立されたメディカルAI学会がgithubで公開しているオンライン講義の資料のうち、「機械学習に必要な数学の基礎」というページです。
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内容は微分、線形代数、確率。

自分の数学能力というものは、仮に人間に数学10段階能力スケールがあって満点が10だとしたら1か2の人間というセルフイメージがあるのですが、不思議なことにこのページで紹介されている諸概念はあらかた理解出来るんです。

記憶はしていませんよ。私の仕事じゃ使わんもん。

でも読めば何のことか理解は出来る。

おかしいな、俺は数学は全く出来ない人なんじゃなかったのか。

このフレーズそのものに罠があると考えます。

数学が「出来る」ってどういう意味なの?

あるいは話題の三角関数。三角関数を「知っている」とはどういう意味なの?

a) 三角関数の概念は知っていて説明出来る
b) 三角関数を用いた簡単な計算を資料を見なくてもやれる
c) 三角関数の計算ならどんな過激な難問でも打ち返せる
d) その他

その概念を知っていること、説明出来ること、それをパっと使えること、その技能のグランドマスターであること。

どれよ。

これが罠なんだと考えます。

みんなきちんとした定義をしないんだもん。どれを我々は求められているのか。私は三角関数は「知っているけれどもう出来ません」となります。仕事で使わんもん。

微分積分も「知っているけどもう出来ません」。

行列の計算「読んだら理解出来たけど仕事で使う予定がないから差し当たって憶えようとは思いません」。

だめなのかな。

仕事で数学を使っている人の常套句が

「もしも仕事で数学が必要になったときに困るから数学を身に着けておくべきだろ」

なんですが、もしもの話ならその確率を示して欲しいよね。例えば算術平均で今現在12歳の全ての国民がこの後、50%の確率で仕事で三角関数を毎日使う必要が出てくるのか。5%か。0.5%か。もっと下か。微積分はどうなのか。ベクトル計算は。ベイズ統計は。

まずはそれを教えてくれ。

まさかそんなこともわからないで論じているわけでもあるまいし。

その数字があれば建設的な議論が出来ると思います。その数字が無いのであれば、感情的な議論にしかならないと思います。

知ってればそれはお仕事につながるでしょう。
私が社会学や芸術学や歴史学の専門知識を使ってお仕事をしてきたように。
でも、みんないつか仕事で使うかもしれないから社会学や歴史学をいつでも使えるようにしておこうねとは私は言わない。
そういうものがあることくらいは知っておくと良いかもしれないね、くらい。

遡れば15歳16歳17歳のときの自分は音楽と世界史にしか興味が無かった。数学も時間を使えば仕事になるレベルまで身につけられただろうけれど、それより音楽と世界史に夢中でした。大学に入ってもその二つに全ての時間とお金を使っていました。全ては言い過ぎか。スーパーファミコンで大航海時代をやった・・・あれも世界史ゲームか!!

数学ワーカーも、きっとそんな感じではないですか。若かりし頃にその周辺にドはまりして、仕事に使える道具としての数学を身に着けていったことでしょう。

その人たちが考えれば、高校までの数学は全部身につけていて当然、でないと人間扱い出来ないよねって思うだろうけど、そりゃ集団としてバイアス持ってるわけですからね。落ち着け。
数学。良いと思いますよ。楽しければどんどん勉強したら良い。
数学を楽しく勉強する子が少ないとしたらそれは、中学高校の数学科教員と、大学で数学科教育法を研究している研究者が給料に見合う仕事してないからです。
それ以外になにかありましょうか?