先日のゼミでは面白い問答がありました.
私「ポリネシアってどこだか知ってる?」
学生たち「・・・・・。」
私「じゃ、ポリネシアに行ったことがある人は?」
学生たち「・・・・・・。」
私「この中で海外旅行に行ったことがある人は? 君どこに行ったの?」
学生A「ニュージーランドです。」
私「そこ、ポリネシアなんですけど(笑) この中でハワイに行ったことがある人は?」
(5人くらいが手を挙げる)
私「ハワイもポリネシアですよ~。」
この日はポリネシアの話から熊野古道に話が飛び、更に廃仏毀釈、本地垂迹説、神武東征、構造主義人類学と話が飛びまくってなかなか本題の環境社会学の話に入れなかったのですが、本地垂迹説や廃仏毀釈や神仏習合を知らないのはともかくとして、神武東征を知っている学生さえも一人も居なかったのはちょっとびっくりでした。
彼らは社会学部の学生なので、これから基本的には社会学を学んでいくことになるのですけれども・・・・・・カルスタとかジェンダースタディーとかポスト構造主義とかメディア論とかの知識を一通り在庫する前に、記紀神話や日本仏教史など、日本列島の精神文化の土台になっているものを一度はきちんと勉強するべきではないのかという気がしてなりません。
社会学を勉強する若者は世界中に居るのでしょうが、そういう若者たちの中で彼らがいかにして彼らの領域を確保し、彼らでなければ出来ない仕事をやっていくのかと考えた時に、まず大事なのは彼らが宿命的に背負ったもの、つまりは彼らの祖国の歴史や文化をきちんと身につけることだと私は思います。ああ、社会学者として生計を立てようというのならもちろん話は別ですよ。それだったら日本文化の勉強なんか要らない。そんなヒマがあったらもっと直接的に就職に役に立つことに時間を使った方が良い。
でも、彼らはそういう人生は歩まないでしょう(歩んではいけないとも言います)。そういう裏街道な人生に足を踏み入れてはいけません。彼らの前には無限の可能性が広がっている。世界の果てまでも彼らは行ける可能性がある。ならばこそ、きちんと彼らの生まれた土地の伝統文化を、深い部分で理解しておいて欲しいと感じます。それは社会学の勉強よりも大事なことです。きっと。