習ったとおりに宿題をしないクリエイティヴィティに付き合うことの大切さ

うちの息子はいつも余計なことばかり考えているので、算数の計算問題だろうが漢字の書き取り問題だろうが、わざわざ手間のかかる妙なアイデアを考案しては、それを試そうとします。

というか、試します。

ここで面白いことが起こります。

息子の担任の若い教師は、「それはやっちゃダメ」とだけ指導するらしいのです。いつも帰宅した息子はそれをボヤきます。当たり前です。私も「このやり方でやりなさい」と指導することはありますが(特に卒論指導など定形フォーマットを身につけることが大事な場合)、その際には、何故そのフォーマットを身に付けることが大事なのかを丁寧に説明し、納得させます。彼はそのプロセスが出来ていません。

さて、帰宅した息子は担任の指導をどう思うか私に確認します。私の答えはほぼこうです。

「そりゃダメだ。」
「俺のやり方でやって良い?」
「もちろんだ。存分にやれ(それがどれだけ周りくどかったとしてもw)!」

客観的に見ても当たり前なのですが、息子の主観の中でも担任と私では知的権威の格が全く違いますので、私が良いと言えば担任の指導など無いも同然です。

かくして、七面倒くさい独自のやり方で展開された計算ドリルや漢字の練習を私は毎日採点することになります。

メンドクサいですが、これをメンドクサがっているような人間が、クリエイティヴィティとかイノヴェーションを語る資格は無いというのが私の立場です。

しかしながら、息子のいたずらは法然上人の御歌「月影」に詠まれた阿弥陀如来様の宿願のごとく我が家の中に遍く存在しておりますので、しばしば私もイラっとすることがございます。

そこで考えたソリューション。

「いたずら」を「クリエイティヴィティ」
「いたずらっこ」を「クリエイター」

このように呼び変えます。

「こら! なんだこのクリエイティヴィティは!」
「お前は本当にクリエイティヴだなあorz」
「まーたクリエイターが暗躍してやがるww」

ほら、なんかこう、いずれIT起業であぶく銭掴んで「学校の宿題なんかやる必要無いぜ!」とかノータリンなことをインタビューでほざいてくれそうな気がしてきませんか?

あ、もちろんそんなバカ発言をしたら何歳だろうが父ちゃんのげんこつが降りますよ。

「ちがうだろ! お前は宿題を改造して遊んでただろ!」