コナ・ヴィレッジ

 今日、甲州街道を車で走っていたら、つと目尻に飛び込んできた文字列がありました。

「コナ・ヴィレッジ国領調布」

 家に帰って調べてみたら、マンションの名前でした。

http://www.cv-style.com/

 コナとか言うから、ビッグアイランドにあるコナKonaと何か関係あるのかと思ったら、Conaだそうです。Conaって何だろうと思って英和を調べてみたんですが、あまりメジャーな単語ではないようなので、ジーニアスでは出てこない。ヴィレッジは英語ですから、Conaも英語あるいは固有名詞のはずですよね。

 Conaって何なんだろう?

 いや、それよりも、何で日本のマンションの名前ってみんなこうなんだろう?

 不思議だと思いませんか?

 私の家もマンションですが、やはり意味不明のカタカナが入っています。電話で住所を説明するとき、少し恥ずかしいです。住所そのものも文字数が増えて鬱陶しいしねえ。

日神デュオステージ浜田山
コスモ中野弥生リベディア
ライオンズマンション高田馬場サウスレジデンス
フォルム荻窪
レーベンリヴァーレ新江古田レリッシュ
アトラス江戸川アパートメント
パークハウス新宿若松町
ライオンズ浜田山セントマークス
パークハウス高田馬場公園アーバンス
グローリオ新中野ブランデコ
ウェルズパーク落合南長崎
市谷逢坂テラス
シティハウス新宿柏木プレミアムレジデンス
ダイナシティ南阿佐ヶ谷
アールブラン高円寺
市谷砂土原町パークハウス
グラーサ神楽坂
シティタワー新宿新都心
Brillia外苑出羽坂
ネバーランド荻窪アヴァンセ

 これ、http://www.home-plaza.jpで東京都23区の城西地区を指定して出てきたものを最初から順に並べた名前です。レーベンリヴァーレって何ですかね。グローリオにダイナシティにグラーサ、しまいにはネバーランドですよ。
 
 まあ考えた人は真剣なんでしょうが、これはやはり、中高級集合住宅をいかに名付ければ格好いいのかという事が、これまであまり真面目に考えられて来なかったと見るべきではないでしょうか。様式が無い。

 安い方の集合住宅の名前にはありますけどね、様式。「ナントカ荘」というやつです。近代日本漫画の母胎となった、かの有名な「トキワ荘」。椎名誠、木村晋介、沢野ひとしらが若き日を過ごした「克美荘」。なんかもう、名前を聞くだけでも古き良き昭和って感じがする。

 しかし、そういうものと差別化して、さらに何かそれ自体の個性を主張するような名前を付けなければいけないとなると、とたんに行き詰まってBrillia外苑出羽坂になってしまう。車の名前と同じセンスですよね。車の愛称はアメリカや欧州にもありますから、日本の車もその流れ、あるいは様式と呼んでも良いでしょうが、その中にあると思います。しかし、いざ集合住宅に名前を付けようとしたときに、車のネーミング様式を借りてくるしかなかったというのは、少しもの悲しいものがありますね。

 集合住宅でなければ、ネーミングの様式美は日本にもあるんですけどね。

 例えば「二笑亭」ってご存じですか?
 これ、昭和初期に東京の深川にあった謎の茶室の名前です。作ったのは赤木家という足袋屋の婿養子の赤木城吉さんという方で、この茶室を造った時には既に統合失調症だったらしいのですが、その方がこう書き残しています。

「私の父の佐山新二の二をとりました。またあの家の玄関の脇に、二畳の間があります。そこへ炉をきって仏事を営み、茶がかった意味をもたせるために、二笑亭となづけたのです。」

 う~む。とにかく二という数字に拘りたかったようなのですが、それで「二笑亭」だなんて粋な名前がスラッと出てきてしまう。

 これが様式の威力です。
 様式というのは、ある種のルールです。長い時間をかけて沢山の人がああでもないこうでもないと色々試した結果、まあ、こういうのを作るんであれば、こういう感じのがなんとなく格好いいよねという、社会的合意が出来たものです。何故そうなったのかは誰にもわからないんだけど、一端そうなってみると、やはり落ち着くべき所に落ち着いた気がする。自己組織化というやつですね。放っておいても勝手にその形が出来たようなものは、案外長持ちする。色々な試行錯誤の結果が詰まっているから、結果わりと合理的なものになっているし、一人の人間が一生かけて試行錯誤しても追いつかないくらいの時間が既にかけられてきているから、洗練されている。アクが抜けている。

 一度そういった様式が出来てしまうと、それをわざと崩す楽しさもあるし、様式にビタッとはまったものの迫力もある。

 様式って便利なものなんです。ロックだってジャズだってクラシックだって、何十年あるいは何百年かけて洗練されてきた様式がありますから、それを利用して創造行為が出来る。こういうのを、理系の学者さんは「巨人の肩に乗って遠くを見る」と表現しますね。人間一代で創造出来るもんなんて、多寡が知れてるんですよ。

 長い時間をかけて残ってきたものの価値は、それそのものよりも、それを生み出した様式を作る為に費やされた時間にこそあります。沢山のものを必要かどうか吟味して、要らないものを捨てるには時間がかかるんだ。

 日本の集合住宅のネーミング、果たしてどんなものが様式美として残っていくんでしょうかね。果たして上に挙げた中にその可能性はあるのか。ふっふっふ。