for A New South Wales

 アラームのマイク・ピータースとエディ・マクドナルドは「A New South Wales」でこう歌った。

「この美しい土地に加えられた陵辱
 あるいはボタニー・ベイの町に
 流刑にされた僕の曾祖父に
 でも、それでもこの土地は素晴らしい
 新しいサウス・ウェールズが生まれる為には奇跡が必要なんだ」

 ボタニー・ベイというのは1788年にヨーロッパ人による植民が開始された、オーストラリアの町だ。この町の基礎を作ったのはアイルランドから落ち延びてきた人々だった。1798年、イングランドによる支配に抵抗するアイルランド人たちは、ユナイテッド・アイリッシュメンの反乱と呼ばれる武力闘争に出るが、タラの丘で反乱は鎮圧され、その残党がオーストラリアまで流れていったという。アイルランドが連合王国に正式に飲み込まれたのは1801年。
とはいえ、この歌はアイルランドやボタニー・ベイの歌ではない。こんな一節もある。

「ロンダの炭坑は今夜で閉山となる
 かつて眩く輝いていたデイヴィー・ランプもお役ご免だ
 真っ暗な穴の中から最後の石炭が掘り出され
 男は一人寂しく家路を辿る
 教会では無数の魂が呻いている
 彼の人生は戦いの連続だった
 彼は全てを戦いに捧げた
 教会で人々は泣きながら歌う
 『神よ ロンダの谷を救い給え』」

 ブックレットにはウェールズのボタ山の前にたたずむ男たちの写真。宮崎駿は「天空の城ラピュタ」のパズーの住む谷のモデルとしてこの一帯を取材した。そういう記事を当時「アニメージュ」で読んだ。この谷はかつてウェールズの石炭産業の花形として栄え、しかし20世紀半ばには例によって廃鉱となる。人々は食い扶持を求めて谷を離れた。

 流され者の歌といえば、やはり本場はアイルランドということになるか。

「船が出るまで僕を抱きしめていてくれ
 僕は間もなく行かなければならない
 この満ち潮に乗せられて
 ファン・ディーマンの島へ

 ずいぶんと苦い結末だ
 愛するものと引き裂かれるなんてね
 僕たちは収入じゃなくて正義を求めていただけだ
 でも治安判事は僕に流刑を言い渡した」

 ファン・ディーマンの島というのは今で言うタスマニア島のことだ。Vanとあるからといって、ヴァン・モリソンのように濁ってはいかん。こやつはオランダ人だ。ルート・ヴァン・ニステルローイとかヴァン・ペルシーなんて言わないでしょ。有名な話だが、アイルランドの近代フォークソングはこんな歌ばっかりだ。いや、こういうのはまだ可愛い方で、イングランド人への露骨な敵意や軽蔑・侮辱・罵倒・嘲笑に満ちあふれた曲も珍しくない。90年前にはこの両国は戦争をしていたのだ。

 ところで今、国会では教育基本法の改正が議論されている。そんなものを書き換えて日本の教育が良くなるとは僕は思っていない。悪くなるかどうかは知らない。保守派とアンチ保守派の政治家のメンツ争いにしか見えない。ただ、愛国心についての議論が戦わされるのは良いことだと思う。

 僕は戦後教育の成果を高く評価している。少なくとも、殺すことと死ぬことを積極的に教えた軍国教育よりは遙かにマシだ。20になるかならないかの若者に爆弾を抱かせて敵の軍艦に突っ込ませるなど、逢坂山の鬼でも思いつかない。

 だが、郷土というものについてどう向き合うかという点では、戦後教育に少々手抜きがあったのも事実だろう。しかし、郷土からは逃げられない。故郷を捨てて異国に行ったとしてもそうだ。どこで生まれ育ったかという問題は、個人の内面と身体に一生ついて回る。僕はタガメやイナゴを食べられない。昆虫食をする文化圏に生まれなかったから当然だ。タガメを食う土地に移民してもきっとタガメを食うことはないだろう。

 これが、身体に染みついた故郷だ。