エディの魂を日本の子供達に! マジで!!

 chuw84uさんのウェブログに恐るべき記事が掲載されました。chuw84uさんは中学校の先生をしておられるようなのですが、香田証生さんの斬首映像が公開された時、子供達はその映像を楽しんで回覧しており、映像に嫌悪を感じて目を背けるどころか、他の斬首映像も見たがったというのです。

http://blogs.yahoo.co.jp/chuw84u/99734.html
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 これはとんでもない事態です(chuw84uさんは何故か「ゆとり教育」を子供達の変化の画期として示しておりますけれども、私はそうやって「風が吹けば桶屋が儲かる」式に何でもかんでも「ゆとり教育」のせいにして済ませるのは非科学的なノスタルジーの所産であり、問題解決に何ら寄与しないと思います)。

 教科学力の低下云々以前に、人間としての基本が育てられていないと言わざるを得ません。

 教育は学校でも行われますし、家庭でも地域でも行われます。子供の教育において、教科学習は重要ではあっても全てではなく、その一翼を担っているに過ぎません。子供はその生活の全体において、自分が所属する社会そのものを、それに参加しながら身につけて行きます。

 この過程には社会規範や価値構造の身体化が含まれます。例えばタイの北部ではゴキブリのフライが普通の食べ物として存在しています。充分に加熱されれば有害な菌は死滅しますし、昆虫そのものはタンパク質の摂取に非常に適しています。理屈で考えれば食えないわけなんかどこにもない。しかし日本列島で育った人がそれを咀嚼し嚥下するのには身体的な困難が伴います。端的に言えば激しい不快感に襲われます。これを乗り越えるには、極限的な飢餓状況に置かれるなどの条件が必要です(実際、第二次大戦中の日本軍兵士はそういうものを食べざるを得なかったわけで)。

 つまり、価値構造や社会規範が、身体そのものとして保持されるわけです。これを社会学ではハビトゥスと呼びます。

 さて私達は、同胞が斬首される動画を見せられれば、激しい生理的嫌悪感に襲われるハビトゥスを持っているはずでした。少なくとも私は持っています。ところがchuw84uさんの見た中学生は、そのようなハビトゥスを身につけていませんでした。彼らには同胞愛も人間愛も未だ育っていないのかもしれません。

 これはまずいです。日本の社会の中に、同胞にも人間一般にも愛を感じない人々が存在しており、その人々はもう数年もすると社会人となり、我々の隣人として社会に参画して来るのです。これに身の危険さえ感じるのは私だけではないでしょう。

 教科学力は非常に大切です。それは生きていく糧を得る為の最重要のツールです。しかしそれ以前に、せめて同胞愛や人間愛くらいは確実に身につけておいて欲しい。エディ・アイカウのように、とは言わないまでも。

 私、極めて個人的な理由で、エディ・アイカウやホクレア号について、あるいはライフセーバーについて、日本の子供達に広く学んでもらって、その精神を身につけて欲しいと切に思います。これを読んでおられる先生方。英語でも社会でも総合でも良いです。エディ・アイカウやホクレア号について学校で紹介するのであれば、私、極めて利己的な理由で、全面的に協力させていただきます。だって怖いんだもん。怖いよ~~

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「旦那、そんなにも何もかもに反対なのでしたら、旦那は何に賛成なさいますので?」
「おれか、おれは、人が生きる事に賛成なのだ。」
(堀田善衛『路上の人』より)