SEALDsの取り巻きのおっさんおばさんたちがフェミニズム談義で場外乱闘中だそうですが、本当に大人げない連中ですね。昔っから。

 

SEALDsを取り巻くおっさんおばさんたちが、女子学生の演説の些細な表現を巡って泥沼の場外乱闘に突入中みたいです(リンク切れ)。

主な登場人物が上野千鶴子、北田暁大、松沢呉一に志葉玲・・・・他にも色々と大学教員やライターが山ほどバトルに絡んでるみたいですが、めんどくさいので調べてません。

きっかけは、とある女子学生が演説で

「家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せ」


元ツイート

という表現を使ったこと。これに対して、フェミニズム陣営の大学教員が「男女の役割の固定化への加担に無自覚な表現だ」という批判を撃ち込み

 しかしながら、最後のスピーチにははっきり言ってちょっと引いた。国会議員や高橋哲哉先生、また関西のSADLの人のスピーチなどの最後にSEALDSの女性のスピーチがあったのだが、この「安倍首相への手紙」というスピーチはかなり稚拙なものだったと思う。私が一番「これは全然ダメだ…」と思ったのは、「帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さん」がいることを平和な世界の象徴として訴えていたところである。これは自分の経験に基づいているのだろうが、全体的にものすごく家庭を守る母(「両親」ではない)とその子どもというイメージに依拠しており、はっきり言ってこのスピーチで提示されている「平和な家族像」というのはむしろ首相とその一派が推し進めているものに近い、母親が家にいて子どもを育て、家事や炊事をするという保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデルへのノスタルジーだと思った。首相への手紙という形式なので、わざと首相が喜びそうな家庭モデルを持ってきているのか、それともあまり何も考えないで経験を書いているのかはわからないのだが、こういう安倍的家庭観を前面に出して「安倍を倒せ」とか、全然コンセプトが通ってなくてスピーチとしては稚拙にすぎると思うし、女性性とか母性がしばしば政治活動でプロパガンダに利用されることを経験してイヤになっているほうからすると聞いていて本当にうんざりする。(出典

(注:上記引用は英文学者のブログです。社会学者ではありませぬ。その後このブログの書き手は日本を代表するフェミニズム論客「Saebou」こと北村紗衣先生となりました)

 これに怒ったライターたちが、そんな些細な表現に目くじらを立てて吊るし上げるのかよと反撃し、更にこれに対して上野御大が、これは些細なことではないと空爆を行い・・・・。

好きだよなあ、そういうの。社会学者は。伝統的に。

 

 

あ、もちろん私も社会学者ですし、何か変なことがあれば「それはどういう意味かな?」と空気読まずにツッコミ入れるの大好きです。

ただし、私がそういうことをやる際には必ず、目的と資源配分の目安を考えています。ツッコミは注意喚起。でも、それで相手の考えをその場で直ちに変えさせようとか、相手を言い負かしてみせようということは全く念頭にありません。みんなが考える切っ掛けであり、またフィードバックを貰って自分が勉強するきっかけとしてです。これ以上続けても誰も成長しないというポイントより先までは続けません。

でもこういうとこでバトルしてる社会学者たちは違うからね。彼・彼女らは戦い続けることが目的なので、バトルが始まればどちらかが疲れきって脱落するまでラリーを続けようとします。そうすることで目立てるし、威張りが効くようになるし、いやそもそも戦いが好きなんだ。議論が。

本来なら、学生や若者が喧嘩してるのを、大人が「まあちょっと落ち着けよ」って止めるべきなのに、これは学生の演説に取り巻きの大人が一斉に噛み付くという、あまりにも大人げ無いきっかけ。

しかも、もう定年退職してるような高齢者とか。

君たち、教員として、どう振る舞ったら教育的になるのか、もう少し考えたらどうだと言いたいですね。そんなだから人社系は不要と言われ(ry

別にお母さんが家でメシ作って待ってたって良いじゃないか。私は嫌だけどな。妻が台所使うと、調味料や調理器具の位置が変わっちゃうから面倒臭いだよ。台所は俺の城なんだ。

さて、買い物行ってきます。今夜は何にしようかな。

ルパパトは面白いぞ。