病み闇マーケティングの持続可能性問題

日本から去っていった外国人女性の教え子たち、あるいは日本を出て外国で生活している日本人女性の教え子たちの現在を見ると、日本社会というのはやはり女性にとって今もかなり抑圧的な空間なんだろうなあということは想像出来る。

そしてライティングやビジュアルアーツやパフォーミングアーツの専門家を目指す日本の女性たちが、そうしたストレスを吐き出すためにツイッターやスレッズを使いたくなる気持ちもわからないではない。

しかもその種の闇・病み投稿をアカウントのブランディングのベースにすると、わりと簡単にフォロワーが増える。そして闇・病みコンテンツの供給者として仕事の声もかかりはじめる。

しかしながら、このルートには私見では二つの問題があり、持続可能性に疑問符がつく。

一つは、闇・病みを売りにしてしまうと、どうしてもそれを深め続けなければいけないということだ。これは明らかに自分を傷めつけて切り売りするルートだ。若い頃は、長生きなんかしたくないと粋がっているが、年を取って体力が落ちてくると、あれは拙速だったと気づく。だがtoo lateだ。

もう一つ。

パートナー女性のキャリア構築を支援し、育児や家事を公平に分担してくれるような男性(実在します)は、概して闇・病みコンテンツ常時発信タイプの女性とは違う場所にいて、そしてあっという間に売約済みになってしまうということだ。

闇・病みタイプではない女性があっという間にその手のスパダリ候補生を確保して結婚してしまうのだ。私の教え子の女性たちがそうしたパートナーを確保する率は恐るべき高さである。

だから、闇・病みを大きく育てない方が闇・病み人生から遠ざかりやすいという仮説を私は持っている。

以上、闇・病みコンテンツをSNSで生産して市場に発見されるルートがクリエイターにとってサスティナブルではないと思われる理由を述べた。(female以外のジェンダーでも状況は変わらない。また闇・病みとともに生きる自由はもちろんある)

付言するならば、英語空間における女性アーティストのSNS発信で日本語空間のような感情的な闇・病み吐き捨て投稿を日々量産するという人は、私は見たことがない(絶無ではないだろう)。

たぶん、多くは別のところで発散しているのだろう。

クリエイターに限らずSNSは店頭だ。少なくともアーティストとしてのビジネスをサスティナブルなものにしたいならば、そのように意識しておいた方が良い。

その上で、店頭に未整理な闇・病みを放り投げておくことが自分のキャリア構築にどんな意味を持つのか、考えてみて損はないだろう。