Art Outbound Digest Vol.4

雑感 アート思考とアーティストの思考の違い

 10年くらい前に「デザイン思考」「デザインシンキング」というものがビジネスの世界で流行ったことをおぼえておられるでしょうか?

 アメリカのデザイン会社のIDEOが流行らせたもので、デザインを通した課題解決とか問いが大事だとか、色々な言説が大量に流通しました。

 ただ、明確なこれという定義が(例えばPMBOKのプロジェクトマネジメントのように、考え方や手法を明確に定義して管理統括する組織が無いから)存在しないので、わりと誰でもそれっぽいことを言ったり書いたりできる、非常に便利な言葉として消費された感はあります。

 要するにマーケットインの発想でものやサービスを作りましょう、その際にはユーザーになったつもりでイヤなところを潰しましょう、試作して何度も試しましょう。

 実は当たり前のことしか言っていない。

 とはいえデザイン思考が流行る前の日本の会社、特にJTC(Japanese Traditional Company)と明確に揶揄されて語られるようなところは、開発した機能はとりあえず全部搭載してみましたとか、デザイナーが3D-CADでお絵描きしたままの筐体をフィールド試験もせずに製品化してみたりとか、いや実際には違うんですと言われても「じゃあよほどのアレな人がフィールド試験してたのか?????」というようなものばっかり売ってたんですよ。

(今その雰囲気を感じたければNTTドコモやNiftyのウェブサービスを契約して使ってみると良いです。あるいはみずほ銀行とか)

 そしてデザイン思考が一通り普及したところで、次はこれですと言って出てきたのが「アート思考」です。アルス・エレクトロニカの人脈が流行らせようと動いている雰囲気があり。

デザイン思考のときと同じで博報堂が輸入代理店みたいなポジションにいます。

博報堂の主張はこれ。

「博報堂が考えるアートシンキングは、アート※の発する問いに応答し、企業・事業として進むべき方向を定め、組織や立場を越えた対話を行い、イノベーションを創発する思考・態度・行動のことを指します。
※多様なアートのジャンルのなかでも、特にメディアアートに着目します。表現・創作に新たなテクノロジーを利用する、あるいは新たなテクノロジーから生み出される芸術活動であるメディアアートは、人・テクノロジー・社会の未来を洞察するための大きな手がかりとなると考えています。
<イノベーションに向けたアートの意義>
・ Art as Journalism:いま起きていることを知る
・ Art as a Compass:進むべき方向を指し示す
・ Art as a Catalyst:私たちを触発し、意志に力を与える」

 整理すると、アートの中でもメディアアートを主な対象として、メディアアートの作家が作品の中で提示する各種の問いを参考にして、新しいビジネスを開発しようということですかね。コピーライターの書いたフレーバーテキストを除去すると、そういうことを言っているように私には思えます。

 博報堂の言う「アート思考」より日本でバズったのはこっちですね。

 末永幸歩の本『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』。こちらも順調にアートシンキング講座へと横展開されています。

 この対談は個人的には非常に面白く読みました。

 というのは、末永幸歩はおそらく(というよりも間違いなく)、バズってビジネスの世界で人気講師になろうと思ってあの本を書いたのではないはずが、蓋を開けてみたらビジネスの世界からの引き合いが凄すぎて困惑している感じがありありと伝わってくるわけです。

 ただまあ、いずれにしても「アート思考」というものは広告代理店が絡んで次の商材として売り出し中のもの。

つまり我々の興味関心の先にある「グローバルで活動するアーティストになる」ということに対してはほとんど関係が無い。

ちなみに末永幸歩によるワークショップの内容もこちらで読めますが、これはやはり日本の伝統的な美術教育の枠組みの中にあるスタイルだと思います。手を動かすことを中心かつ起点にしているという点で。

(それがダメとは言ってないですよ念のため)

 とはいえ、現代アート作家として世界に出ていくためには、末永流はちょっと不利なのも確かです。

 理由は簡単。

 このメンバーシップの末尾に並んでいる海外の公募で、もらえるお金の額が大きな案件を幾つか見てみればわかることですが、ほぼほぼ「研究助成金の公募」です。

 わかりますか?

 手先じゃないんですよもうゲートのとこの審査内容がね。

 見た目と手先だけで審査してもらえるのは、まず間違いなく持ち出し案件です。

 良いですか?

 アート思考、アートシンキングはビジネスや図工の先生向けに作られた商品です。

 アートとの関係性は薄いです。

 そうですね、例えばルノアールの描いた油絵(本物)と、それを使って作ったジグソーパズルくらいの違いと距離感があります。

もう一度書きますが、ダメとは言っていない。

 だけどさ。普通はルノアールのジグソーパズル組み立てたものをそのまま美術の公募展に応募しないですよね?

 ドメインが全く違う。

 だからアーティストはアートシンキングやアート思考は無視してください。

 では、アーティストにはどんな思考が求められるのか。

 これも時代によって全く異なります。

 ルネサンス時代、バロック時代、古典派時代、ロマン主義時代、写真の登場から1960年代まで、2010年代まで、そして今。

 そして、今現在のEmerging段階のアーティストに必要(というよりは、あった方が断然強い)と思われるのは「明後日の方向から斜め上に向けてのアカデミックな挑発を設計する思考能力」だと私は見ています。

 アート思考やアートシンキング商材屋さんが「問い」と呼んでいるものをもっともっと細かく分析して言語化してみたら、こうなりました。

 そりゃどういう意味だって?

 まず、世の中の死角から「なんだこれ!?」というものを放り込む、サッカーで言うと攻撃の起点ですね。攻撃の起点と攻撃の方向を設計する。

 それも思いつきだけじゃだめなんです。

 公募には、それが大きな物であればあるほど、キュレーターによるテキストが付属しています。原則としてアカデミックな文体でアカデミックに書かれています。

 例えばこういうの。

 それを読み解いた上で、誰もが思いつく攻撃方法ではなくて、「はあっ!?」となる攻撃軸を作る。

 そしてですね。

 まっすぐにゴールを目指さない。

 これもすごく大事です。

 変なことを言い出してもっともらしい答えに落とし込むのは、自己啓発本の書き方です。これは攻撃の起点だけ奇をてらって、その後は誰にでもわかる話でまとめる。でないと売れません。

 でも現代アートはそれではダメで。

 わからないところから攻め込んできて、ざわざわさせて、おおっと思わせて、そしてわからない方向に攻め上がる。

 そっからシュート撃てるんですか?

 つか、何でわざわざそっち行くんすか?

 そう思わされちゃったらもう術中なんですよね。

 そういう「問い」です。

 アカデミックであり、社会の様々な問題と切り結んでいるのだけれど、公共広告機構のCMみたいにわかりやすく仕上げない。

 ひたすら意表を突いて駆け抜ける。

 その組み立てが、知性をベースにして「目的なき合目的性」あるいは「合理的に非合理的を極めること」をどこまで体現出来ているか。

 おそらく今の現代アート公募はそこを見ているんだと思います。

2:ピックアップアーティスト

File4  アンドレス・バレンシア Andres Valencia

File5 ケリー・ビーマン Kelly Beeman

File6 ラエ・クライン Rae Klein

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