余白のアートフェア2の地域広報がミニマムだった理由

ファイナンシャルギャンブルに飛び込む

余白のアートフェア2は当初、昨年度と同じ経産省の助成金を申請していました。それは取れるであろうという前提での計画でした。ところが冷酷なる不採択通知。ここで撤退しても良かったのですが、私個人としては前進を選択しました。理由は二つです。

一つはお世話になっている広野町への恩返し、仁義として2回目をやるということ。

もう一つは、これで黒字を達成できたら新しいアートイベントのビジネスモデルが作れるかもしれないということ。

勝率、つまりまともな黒字を出せる確率は2割もないと思っていました。ただ、キャッシュアウトを最低限に絞れば、10万円くらいのお金を使うだけで済む。自分が何百時間稼働するかはわかりませんがそれは自己鍛錬と割り切ろうと。

利益の9割以上は作品販売手数料

さて、余白のアートフェア福島広野をファイナンス面から見ると

「日本全国のアートファンが余白のアートフェアウェブショップからアート作品を買う。そのことで得られる収益により、福島第一原発事故の被災地で2日間、現代アート作品を展示して地域の方々に見ていただくことが可能となる」

こうなります。

実際、余白の収益構造に占める「入場料」の比率は5-8%くらいです。作品売上の手数料による収益が9割です。10万円の作品が一つ売れたら有料入場者40人分です。それくらい違う。だから地域住民の入場者を増やすためにお金を使えば使うほど会計上のGAME OVERが近づくということなんです。

会場キャパ的にも、運営費と必要な利益を入場料で賄えるような容量はありません。収益の絶対的に不動の柱は作品販売です。

そこで私が必死に考えて採用したのは、

「可能な限りキャッシュアウトを絞って、使えるリソースはアート作品を買ってくれる可能性が高い人へのターゲティング広報に全て突っ込む」

この戦略でした。だから公式ウェブサイトもほとんどポスターと同じ内容のものを置いといただけ。そこに使うリソースは無い。それよりもnoteとインスタをとにかく頑張り、FBとスレッズで拡散する。これに賭けた。有り余るリソースとリッチな補助率100%助成金があれば別のやり方もあったでしょうが、現実には補給部隊無し、砲兵や航空部隊による支援も無しの歩兵一個分隊で敵中に放り出されて、「頑張って自力で帰還してくれ。まあ全滅しても誰も困らないけど(笑)」という状況です。判断ミスは全滅に直結です。

町のワンオペカフェがJRの駅に何十枚もポスターを貼るのか? 貼りません。

ちなみにJR東日本のローカル駅にB2ポスターを4週間貼ったら6400円。いわき駅だとおそらく8万円。勿来駅から双葉駅までの間にB2ポスターを4週間出すとざっくり言って20万円。(デザイン料、印刷費、ロジ費用は全て別途)。100%助成の税金イベントで「浜通りの皆さんに現代アートを出来るだけ沢山見てもらうことがミッション」ならもちろんやるべきですが。

余白のアートフェアのキャッシュフローはマスターが一人でやっている町の小さなカフェの0.5軒分。町のワンオペカフェが浜通り全域のJR東日本の駅にポスター掲出するのかと考えると・・・100%やらないですよね。だからいわき市から富岡町に至る全ての中学・高校の美術科にDMでフライヤーとお手紙を送るというターゲティング作戦に今回は絞りました。

利益を出さないと次が無い営利事業で広告宣伝を自治体単位の「面」で打てるのは、エンタメであればよみうりランドやサンリオピューロランドや劇団四季くらいの客単価と利益率と確立されたオペレーションがあるものだけなんです。自分で営利事業をやったこともない役人や大学教員は気軽に地域おこし事業に「自走しろ」と言いますが、自走するとはこういうことなんです。何を言われようとROIを冷徹に見定めて、ROIが悪いところにはお金は使わない。見た目のメジャー感を手に入れるために何十万円も使えば「次」はありません。

あるいは開催場所が河口湖とか勝沼とか上諏訪とか野沢温泉とか秩父とかの、交流人口のケタが違うようなとこなら開催の難易度はケタが一つ下がりますよ。アート作品を買った経験がある人も多いでしょうし。中之条だって運営は半官半民で助成金数百万円+自治体からの専従職員派遣がある。アクセスもいいから何万人も人が来る。別府はもっと好条件。そもそも大観光地だし自治体の強力な支援もついてる。

そういう条件が全く無いところで「次」を考えられるところまで利益を積み上げなければいけないというのが今回の挑戦でした。友人の会社経営者二人がそれぞれ10万円を協賛してくれたので最低限の経費はそれでまかなえる目処が立ちましたが、それはマイナスをゼロにするところまでは後押ししてくれたということで、その先を作ってみせないと「なんだ、助成金が無いとなんにも出来ないやつだったんだね君は」で終わりです。

(リープ株式会社さま、三愛化成商事さま、改めて深くお礼申し上げます。お二人の侠気による協賛金が無かったら私は正気を保てなかったかもしれません。)

敬愛する珈琲文明の赤澤先輩のお言葉も置いておきましょう。

①    最初から飛ばし過ぎるな。オープニングキャンペーンは愚の骨頂。
②    出来ればサイレントプレオープンから始め、まずは少数顧客の「種火」を大切に灯せ。
③    宣伝広告には一銭もかけるな
④ 珈琲文明が軌道に乗るまでは3年(もっと言うと5年)かかった。

結果としては、なんとか「次」が考えられるところまで売上を積み上げてくることが出来ました。これも出展してくださったアーティストの皆様の普段の活動に便乗させていただいただけです。本当に足を向けて寝られる方位方角がありません。

地域住民の方々が連日数百人あるいは1000人以上も来場されてアート作品も飛ぶように売れる。それは目指すべき夢ですが、たとえていうなら2024年の町田ゼルビアの姿であって、まだ余白のアートフェアは1989年の、最下部カテゴリで立ち上がった直後の町田ゼルビアくらいの存在です。

ちなみに稲城市で毎冬行われているシクロクロスイベント「稲城クロス」は2018年に始まり、あっという間に日本のシクロクロス愛好者で知らない人は一人もいないレベルになりましたが(立ち上げ準備では私も市議や市長や市役所の間で色々と動きました)、今でも稲城市民で稲城クロスを知っている人は100人に1人もいないでしょう。でも良いんですよ。市民でも知っている人は知っているし、ちゃんと盛り上がっているし、愛されている。

一歩ずつ、一歩ずつです。小さくても良いからまずは種火を灯せ、という赤澤先輩の教えの通りに。

昨日もね。何人ものアーティストさんが勝手に集まって「次」をどうやって成功させるか、相談していたらしいです。「余白」は「みんなのもの」になりつつあるようです。

追記:アーティストにどんなメリットを提供するのか

余白のファイナンス構造「日本全国のアートファンが余白のアートフェアウェブショップからアート作品を買う。そのことで得られる収益により、福島第一原発事故の被災地で2日間、現代アート作品を展示して地域の方々に見ていただくことが可能となる」を成り立たせているのは、

「余白のアートフェア福島広野1&2がアーティストにとって売上作り以外のメリットを提供しうるイベントである/あった」

からと思っている。

それはネットワーキングの機会であったり他のアーティストのノウハウを学ぶことであったり、在廊そのものが楽しい経験であったり、東日本大震災被災地の今を見聞出来たり、というものだ。実際、余白のアートフェア在廊と組み合わせて富岡町や浪江町の見学に行ったアーティストも少なくない。

逆に言えば、それらがあるから皆さんは売上の4割を提供してくださっているし、わざわざ販売チャンスの薄い広野町まで遠征してきてくださっている。

だから大都市の百貨店の特選美術品画廊に在廊しているときのような振る舞いを在廊アーティストに求めることは出来ない。それは全くの筋違い。道義違反。もしもそれを求めるなら販売機会が遥かに大きな場所でやるのが筋だ。越後湯沢や那須塩原、草津温泉。あるいは新潟市、宇都宮市、仙台市。

あるいは税金補助100%イベントでアーティスト全員に旅費宿泊費食費日当支給。

世の中には色々な「正論」があるが、ファイナンスから見た「正論」であればこうなる。これはいわゆる「社会的起業」であり、ビジネスの一類型なのだ。