私が東京に出てきたのは1990年で、まだジュリアナ東京もあったしセゾン文化は全盛期で、学生は「ぴあ」や「東京ウォーカー」を毎週買っては遊びの情報を探してたんですよ。
まあ他にも情報誌は数え切れないくらいあったけど。
もう「ぴあ」も「東京ウォーカー」も無くなっちゃったよね。
ちなみに妻は神楽坂生まれ神楽坂育ちで、4代くらい前に富山の射水から正力松太郎のお供で出てきた書生みたいな人の曾孫なのかな? 要するにかなり代を重ねた東京の人間で、「東京ウォーカー」みたいなものには全く興味なしな女子大生でしたね。
そういう、お上りさん向けの東京情報メディア的なもので今も元気なのって「東京カレンダー」と「美術手帖オンライン」と「Tokyo Art Beat」くらい? 他にもあるんでしょうかね。現代アート情報(とされているもの)が東京お上りさん向けメディアを二つも支えているのって、かなり結構面白い現象なんじゃないかなーと思いました。
念の為。ダメとは言ってないからね。
それで老害の昔話に戻ると、1980-2000年あたりまでの紙雑誌全盛の時代でもお上りさん向けオシャレ風情報誌にほんまもんの東京のカウンターカルチャーの最先端の情報が出ることなんか無かったんじゃないかなあ。うん。
結局、口コミでそういうものは伝達されていたような記憶がありますよ。
「どこどこで凄いヤバいイベントがあったらしい」とか「あそこの大学に凄いやつがいるらしい」ってのが、どこからともなく囁かれてね。ヤバいことしてる現場に行かないと結局そういう情報は拾えない時代だったと思います。「Jazz Life」にはクラブジャズやジャズクラブ(両者、全く違うものです)の現場のあれこれがダイレクトに出るわけじゃない、というような。
今でもそこはあまり変わらないんじゃなかろうか。
アートという領域でもやっぱ万人向けオシャレ風ポータルメディアには、オルタナティブの現場の情報は出ない(あるいは出づらい。もちろん元オルタナティブの界隈メジャー組は重点コンテンツとして頻出する。それもどこのメディアでも同じ)。
現代アートポータルがお上りさん向けメディアになってるのも、アートウォッチャーがツイッターで流行るのも、50過ぎの老害から見たら80年代バブルの形を変えた再現です。情報のフローを消費する楽しみ。それはとても(特に憶えたばかりの頃は)楽しいだろうし、楽しいのは良いことではありますが、いずれジュリアナ東京や11PMや東京ウォーカーのように「懐かしー」と語られることになりそうです。
消費者ですからね。
消費者は消費者にしかなれない。大量の情報を消費する消費者ね。楽しいよね。なんか特別な人間になった気もしちゃうかもね。でもそうじゃないんだけどね。
情報を消費させられるお客さん以外の何かになりたければ自分だけが作れる世界観を作っていくしかない。と思いますけど。その場所は東京でも田舎でもどこでも良いです。お上りさん向け情報ポータルに取り上げられるかどうかなど些細なこと。自前の情報発信力を磨きましょう。ある閾値を超えれば向こうからすり寄ってきますよ。文芸フリマなんかまさにそれ。