「ファンシー」とフェミニズムアート

余白のアートフェアの審査資料を全力で作っているのですが、あらためて作品画像を全て拝見してステートメントと併せて資料に入れ込んでいきながら強烈に感じていること

期せずしてこれは日本のフェミニズムアートの地下水脈みたいなものを覗き込む機会になってしまったのではないかと

公募に「レイトスターター」というカテゴリがありましたが、それ以外でも女性アーティストさんたちの、やはり男に比べると一直線には進まない、ままならない人生の中で、やむにやまれず描く/作る、あるいは、創作することでやっと息が出来るみたいな表現がいっぱいありまして

またそれが、ジュディ・シカゴやマリナ・アブラモビッチのようなバキバキコンセプチュアル、あるいはソフトスカルプチャーのような美術館映えものたちではなくてですね

日本語でいうところの「ファンシー」

内藤ルネや水森亜土あたりから始まりサンリオを生み80年代に全盛期になったような

あの感じ。

明治大正の少女小説の挿絵がルーツなのかな。

「おかんアート」なんて言葉も最近生まれましたが、推測としては「おかんアート」も「ファンシーグッズ」的アートも、カルスタっぽい言葉で言えば「抵抗」の形式なのではないかと

なんでそうなっているのかは全然私にはわからないですよおっさんだから

とはいえ、現代の「カワイイ」の一部も含めて、少女小説から昭和ファンシーを経てどこかに繋がっている一連の表現形式は、たぶん日本の近現代の女性たちの何かが、そうとは俄にわからない形で表出しているんじゃないかと、思いながら必死に資料つくってます