現代アートの鼻持ちならないスノビズムの裏事情

現代アートはわかりにくい。そして古典作品と違って油彩絵具や大理石や青銅など高級素材としてステータスが確立されたもの以外の素材も多用するから、素人にはオモチャ同然で安っぽい代物に見える。

しかし、こうした現代アートの「わかりにくさ」「難しさ」が現代アートの諸価値の源泉になっているという見方も可能だろう。

現代アートという分野も、その中の諸作品も、理解しようとするとかなりの勉強が必要だし、それなりの地アタマも必要になる。誰でもわかるハリウッド映画とはここが全く違う。だが、そのような参入障壁を設けることで現代アートはそれに関わる人間を選別している。

身も蓋もない言い方をすれば「バカはお断り」というスノビズムだ。

現代アートが本当に相手にしているのは金持ちか知識人だけだ。大衆はディズニーランドやチームラボへどうぞ、というのが偽らざる本音だろう。

こうした構造が、現代アートを理解出来る人間同士の連帯感を生み出し、現代アートにお金を出すことの特権性を保証している。現代アートをバカにする大衆、現代アートお高く止まりやがってムカつくわと吐き捨てる大衆が居てこそ、現代アートには他に無い価値が生まれる。

ハリウッドや「小説家になろう」の至れり尽くせりで認知負荷を限りなくゼロに近づけた大衆接待コンテンツに慣れ親しんだ大衆が「こんなものわかるわけない。わかるように説明しろ」と叫ぶのを慇懃無礼にスルーする。それが現代アートのスノビズムだ。

世界の特権階級が大衆には理解不能な現代アート作品に大金を注ぎ込むのは何故か。フェラーリも超高級不動産も宝石もエルメスのバッグも大衆にその価値はわかりすぎるほど分かっている。だからぽっと出の成金や小金持ちにも買える。金を出す意味が理解出来るからだ。

しかし素人には場末の遊園地のオモチャと見分けがつかないものに1000万円、乳幼児の落描きと見分けがつかないものに3000万円を現金で払えるのは常軌を逸した金持ちか、本物の高等教育を受け一流の知識人と交わり、それらの価値を理解出来る能力を身に着ける機会があった特権階級だけだ。

だから大衆がサンチャイルドを嘲笑することは、現代アートにとってはウェルカムだし、田中武の日本画が炎上することもOKなのだ。

だが、だから現代アートなどに税金を使うのはけしからん、というのもまた浅はかな考えである。

社会階層の移動を考慮していないからだ。

ハイカルチャーの知識はあるレベル以上のビジネスでは大いに武器になる。私が徒手空拳からそういう世界に入っていけたのは、金は持っていなくとも様々な高尚文化の知識はリッチに持っており、多忙なビジネスパーソンたちにとってそういうものは、実は欲しくてたまらないものだからなのだ。

あらゆる階層の人間が公立美術館に行けば金持ち文化であるファインアートを学ぶことができ、図書館に行けばやはり金持ち文化である学問や高尚文芸を学ぶことができる。

それを武器にしてのし上がっていくことができる。

税金の使い道としてこれほど相応しいことがあろうか? いや、無い。