共創せんとや生まれけん

宇多田ヒカルのドキュメンタリー番組(プロフェッショナル仕事の流儀)を見ながら、宇多田ヒカルのファンの教え子と話していて気づいたこと。
宇多田さんほとんどすっぴんで出てるシーンある・・・ではなくて。
彼女はもう20回人生やっても仕事しなくて困らないくらいお金持ってると思うんですが、それでも苦しみに苦しんで、3年とかかけて曲書いたりしてる。だからもうこれはお金の問題じゃなくて、音楽作ってないと死んでしまう病に罹患している人なんだと思ったのです。
それでは自分は何かそういうのあるのか?
ありますね。書いていないと死んでしまう病。
音楽の方は、もちろん聞くのも演奏するのも好きなんですが、曲を書きたいとか思ったことは無い。弾いていないと死んでしまう病でもない。今日も30分くらいはギター弾いてましたけど、宇多田さんとは関わり方が全く違う。
一方。文章を書く方は、カネの問題じゃなく常に書いている。
ただし、作品として書く、書きたいという思いはこれもほとんど無くて、とにかくアウトプットし続けることが目的になっている。
更によく考えると、自分自身の人生で、これは絶対に完成させたいという強い思いに導かれたものってほとんど無い。卒業論文、修士論文、博士論文、翻訳書何冊か、そしてファザーズバッグとはやぶさラストショットセット。それくらいだ。
あれ?
じゃあ自分の一番好きで得意なことってなんだろう?
宇多田ヒカルのように、自分自身の作品を作ることでは無いとしたら、なぜ今までの人生でこれだけ色々なものの創造に関わり続けてきたのか?
これも少し考えたらわかりました。
自分が一番好きで得意なのは、co-creationなんです。共創。
これを作りたいという強い思いを持った誰かの創造行為をサポートし、後押しし、完成させること。
おお、なるほどだ!
そう考えると全て辻褄があう。
立教の軽音楽部で多分史上初めて、「上手いかどうかより、みんなで楽しければ良いじゃん」という思想でバンドを組んで定演に出たのが私です。
その思想を文章化したのが博士論文。
これはというものは採算度外視で翻訳をしてしまう。
カメラ屋ではお客さんが撮りたいというイメージを聞いて、予算の範囲内でどうしたら最高の組み合わせを買えるか考えるのが得意だった。
卒論指導で、正規の担当学生以外のものを山程指導したのもそれだ。
ラストショットブックは住田さんのサイエンスライターになりたいという夢の支援だったから採算度外視でがんばれた。
なんだそういうことか。
だから外注プロジェクトマネージャーをやっているのか今。なるほど。理解した。そういう運命だったんだ。
「自分はこれを作りたい」の塊みたいな息子の創造行為のサポートに時間やお金をどんどん使っちゃうのも、それだ。
自分の天命はこれだったか。齢四十六にして天命を知る。宇多田ヒカルと教え子に教えられたか。
そんなことに気づいた昨日でした。