八王子芸術祭
大規模自治体だけあってメニューは色々なんだけど
日本で芸術祭というのを自治体がやるときに担当セクショントップがfine artのことを理解していないと、市民アートとクラフトとそれ以外のなんでもかんでもを集めてきた寄せ鍋みたいなものになってしまう
それはそれで楽しいし盛り上がるから良いんだけど、アートという西洋語の本筋を担当するものがコアにないと、文脈や芸術祭固有の歴史が生まれない。
芸術祭のアイデンティティと言っても良い。
地域性とfine artをどのように結びつけてキュレーションするか。
これを理解せずにお金だけいっぱい集めてやって1回だけで消滅した二子玉川の「TOKYO ART FLOW」は反面教師として実に有用だ。