USAのコミュニティ系現代アート公募を日々掘っていて感じていること
大都市にある超有名みんなの憧れ現代美術館がトランプの顔色を伺ってDEIを目立たないようにしているのに対して、田舎町のアートNPOがやってる地域の現代アートセンターはDEI全開のままなんよねたいがい。
BIPOCやLGBTQ優先公募なんて当たり前に出てくる出てくる。
ソーシャリー・エンゲイジド・アートが一つの山であるとして、それが崩壊しないように山体を支えているのは、アメリカ各地に無数に散らばったこういう草の根の現代アートセンターやその運営団体なんだろうなと思う。
もちろんトランプ禍のUSAだけじゃなくて、UKだってそうよ。USAほどじゃないけどコミュニティ系公募は出てくるし(ただUSAは国際公募で出すとこも多いけど、UKはリージョナル公募が基本なのでArt Outbound Digestでは紹介していないだけ。たまにあるけどね。ロンドンのあそことかあそことか)。
SEAでスターダムにのし上がってMOMAやSFMOMAやヴェネチア・ビエンナーレで展示して、横浜ビエンナーレや愛知トリエンナーレに呼ばれるSEAアーティストたちだけがSEAじゃないというか、あれはSEAの生態系のほんの表層。こういうところで、これがソーシャリー・エンゲイジド・アートだって並べてあるような大仰なものは、SEAのほんの一部ですよ。
日本がまず見習うべきは、一つ一つは小さくてオシャレ感ゼロでも、強靭でしぶとくてどこにでも芽を出してくるようなSEAの土壌なんじゃないかね。それを構成している、田舎町や郊外住宅地のちょっとダサい感じの現代アートセンター。ちょっとダサい感じだけど、でもとても大切なことをやっていると思うよ。
問題はさ、日本の現代アート論壇ってすごい狭い世界とスコープだから、基本、仲間内のものしか見ないし話題にしないし書かないし、みんなアカポスゴール狙ってる(かアカポスゴール後の人だ)から、アカデミック分野のゲートキーパーが好むドクメンタくさいもんしか点数入れないわけ。そういう人たちが助成金の公募の審査もするから、市井の「現代アートってなんですか?」という市民に響くようなものじゃなくてアカデミック好みのものしかお金付けないわけ。要は大先生と大先生の弟子筋みたいなのしかお金もらえないわけよ。
つまりね、ソーシャリー・エンゲイジド・アートという山があるとしたら、日本の現代アート論壇はその頂上だけ望遠鏡で眺めて、頂上についてだけ語って、頂上っぽいものにだけ「これは良いものだ」ってお金をつける。
要はこれよ。安土城の天守の最上階から2層だけ再現した模型。
石垣とか城全体の縄張りとか全部省略してる。安土城なら良いけど、ソーシャリー・エンゲイジド・アートだぞ? アカデミック村だけであれこれ論じてもどうしようも無いじゃん。だからUKのソーシャリー・エンゲイジド・アート研究者が日本に調査にきて、広野町のはまともだけどあとは・・・・って言って帰っていったわけさ。その広野町だってやっと、じゃあオレも現代アート作ってみるかって地域のおじいちゃんが腰を上げ始めたくらいでね。ここまで来るのにどんだけドブ板営業して頭下げて頭下げて頭下げてきたか。
ソーシャリー・エンゲイジド・アート、カッコつけてたら魂は入らんですよ。


