52歳の誕生日でツイッター(X)を卒業しました

私はインターネット老人会の人間なので20世紀の終わりから2023年までだいたいの流れは見てきました。

あくまでも私個人の好みとして、好きだったのは2000年頃、それと2010年前後です。

2000年頃はメーリス。メーリングリスト。当時、共通の趣味のメーリングリストがとても盛んで、何千人も参加しているMLがいくつもありました。その頃にMLで知り合って今でもとても仲良くお付き合いさせていただいている方々がたくさんいます(今はFBで繋がっています)。オートメカニックメーリングリストやスペインメーリングリスト。一緒にイベントもやったな。原宿のギャラリーでスペイン写真展やったりした。

2010年頃はフェイスブックが日本でも盛んでした。今もしぶとく盛んですけどね。

この二つの時期に共通していると私が考えているのは、価値ある情報を共有するコミュニティがウェブ上に存在していたということです。

今はどうなのか。

今もあります。息子が入り浸っている様々なDiscordのサーバなどまさにそれでしょう。

私のような老人は相変わらずフェイスブックです。

こうしたコミュニティには、「有名人」はいても「インフルエンサー」はいません。

「インフルエンサー」は所詮は見ず知らずの他人をカモにする商売人だと思っています。コミュニティの仲間ではないのです。

私がツイッターを卒業したのは、あそこにはもう「インフルエンサー」と「フォロワー」しかいないと感じたからです。

お互いに持っている価値ある情報を共有しあう共同体が非常に作りづらい場所です。

たとえば現代アート関係のアカウントでも、自分の持っている札を伏せたままいかに他人にチップを積ませるかの馬鹿試合・・・なんだよこの第一変換は・・・・化かしあいに血眼になっている無内容な人があまりに多すぎた。

そんなくだらないことをしないで、情報は共有してあげれば良いのにと思っていました。

SNSで他人から巻き上げられるお金などたかが知れています。そして一個人がそうそう継続して価値ある情報を有償で提供し続けられるものでもないのです。

大学でもそうです。実務家教員と称してビジネスパーソンが専任教員となることが一時期流行りましたが、個人の経験の切り売りでなんとかなるのはせいぜい3年。

そんなことをするくらいならお金は本業で稼いで、情報はケチらずに共有していった方が、結果として案件の声もかかるものです。

コミュニティの中でいかに信頼してもらうか。それがサスティナブルなビジネスの基本です。

現在はスレッズにおります。