ツイッター黄金時代はもう二度と戻らないだろう

ツイッターというSNSのストラクチャに過度に依存していたsub culture(日本語でいう「サブカル」ではなく英語本来の意味での「副次文化」「下位文化」)が、ツイッターのマスク化とともに上手く機能しなくなり、その参加者たちがツイッター以外のSNSを試しては「治安が悪い」「つまらない」などなど不満を並べてはツイッターに帰っていくのを見るのが好きだ。

しかし彼・彼女らが帰っていくツイッターもまたマスクによってXにされた非ツイッターでしかない。

あのツイッター黄金時代はもう二度と戻らないだろう。マスクがいなくなったとしても、ツイッターを取り巻く社会そのものが大きく変わっているからだ。

その残酷な現実から目を背けて、どうしてもXを諦められない人々を見るのが好きだ。

イーロン・マスクに取られた恋人への未練をいつまでも引きずっている感じが実に甘酸っぱい。

面白いことにウェブ漫画やウェブラノベだけでなく、ある種の人文系の物書きたち(ざっくり言えば批評屋さん)もツイッターの崩壊で商売が傾きつつあるらしく、彼・彼女らが(大上段に正義を語る割には)ツイッターの邪悪な炎上ストラクチャに大きく依存していたことが、今になってようやく可視化されているのかもしれない。

ツイッター時代に成功を手にした人文屋は、人文系の文章屋として絶対的に質が高かったから成功出来たのではなく、たまたまツイッターという「燃やしてナンボ」のSNSストラクチャにマッチするトンマナを持っており、しかもそのストラクチャが好きな日本語ネットユーザーが多かったということだと私は考えている。

だが、それは所詮は一時のブームでしかない。鶏の唐揚げテイクアウトやタピオカミルクティが売れたのと同じで、ブームによる全体的な底上げがあってこその商売だった。

彼・彼女らのうち幸運にも大学の任期なし専任教員になれていた者は、(勤務先が潰れない限り・・・その保証が無い大学も多いが)生計が破綻することは無いだろう。そうでないその他大勢は、新しい世界秩序に適応するか、廃業/開店休業してフェードアウトしていくかだ。

マーケティングやビジネスを馬鹿にしてきたツケを払う時が来たのだろう(炎上マーケティングに頼りすぎていたとも言える)。

コーヒーが美味い。