柳治男さんの『学級の歴史学』という本を読みました。これがなかなか面白かった。
今、私たちは学校に行けば同じサイズの教室がズラッと廊下沿いに並んでいて、それぞれの部屋が「学級」という単位に割り振られているのを当たり前だと思っています。でも、それっていつから「当たり前」だったのか? 聖徳太子の時代に学級はあったのか? 北条時宗は鎌倉小学校2年1組の学級委員だったりしたか? 後に豊臣秀吉になる男は学校をフケて矢作川の橋のまわりをうろついていたか?
全部違いますね。学級が日本に出現したのは明治24年だそうです。学制が導入されてからかなり時間経ってます。最初は等級制といって、進級試験に受からないと上に行けないシステムでした。だから勉強なんかやる気のない子供達はいつまで経っても進級せず、そのうち学校に来なくなる。
そこで、同年齢集団で学年を作り、学年内を学級として組織して、子供達を毎年進級させていくというやり方に変えたわけです。
では、その学級制はどこからやってきたのか?
学級のそもそもの始まりはイギリスでした。イギリスの民衆教育は産業革命の時代に、キリスト教の教会を母胎として整備されました。それまでの「お金がある家の子供だけが学校に行く」システムから、「誰でも学校に行ける」への変更を目指した動きがあり、その為になるべく安く大量の子供の面倒を見るやり方として、「モニトリアル・システム」というのが考案された。先生が出来る生徒を教え、出来る生徒が出来ない生徒を教えるというやり方。日本の家元制に似てますね。家元が出来る弟子を「名取り」にして、初心者を教えさせる。当時の学校は教える内容が「読み書き算数」に限定されていたので、こういったやり方も可能だったんですね。
ところがこの「モニトリアル・システム」も、規模が大きくなってくると、教室の中のあっちでもこっちでも違う話をするのでやたらうるさいことがわかりました。授業にならない。そこで次に考案されたのが、生徒を何列にも並ばせて前を向かせる、今の日本の教室の中と同じ「ギャラリー・システム」です。
こうしてまず、教室の中の人間の配置が決まった。ただし、この「ギャラリー・システム」は様々な年齢の子供達を一緒に教える、まあ自動車学校の座学みたいな所でした。
しばらくすると、こういった教育活動の意義を国が認めて補助金を出すようになります。
さて、国がお金を出すとなれば、納税者が考える事は一つ。「なるべく効率的にやれ。カネはなるべくかけずに安上がりにしろ。そしてその分税金を下げろ。」でしょ? 今の日本の教育現場に浴びせられる無責任な圧力のかなりの部分もこれだ。
そこで、「学校に出した補助金がどれだけ効率的か」をチェックする為に考案されたのが、子供達を年齢ごとに区切って学習集団に編成し、その集団がある期間にどれだけ成績を上げたか判定するシステム。つまり学年であり学級なのでした。
おわかりでしょうか。学年や学級のそもそもの出発点は「税金がどれだけ効率的に使われているかチェックする為」であって、子供達を教え育てる為に最適のシステムを目指して考案されたものでは無いんです。言ってみればマクドナルドのチェーンみたいなもので、ハコの構造も人員の配置もそれぞれの人員の仕事も全て本部(=国)が決め、カネを出す以上はこれに従って貰うという思想のもとに始まったのが学年そして学級なんですね。
とはいえ。こういった「本来縁もゆかりもない子供達が同年齢というだけで学級に編成され、1年間をともに過ごす」というのは、それまでの社会には存在しなかった不気味で不自然な状態でした。これを指導する先生だって大変だし、子供達にもとてつもないストレスがかかる。そこで学級システムに持ち込まれたのが、キリスト教の牧師と信徒の人間関係モデルでした。牧師は信徒の救済の為に、それこそ昨日のお話に出てきた聖フランチェスコのように、身命を捧げます。信徒は制度として牧師に従うのではなく、尊敬すべき聖なる人物としての牧師さまを敬い、その教えに従うという形になります。
制度としての上下関係ではなく、人格的な上下関係です。
みなさんの職場を思い出してください。上司というのは人事部が決めてどこかからやってくるものですし、みなさんが上司の指示に従うのは、会社という制度の中では部下は上司の指示に従うことになっているからです。ところがその上司が人間的魅力を供えていると、部下は制度の枠を越えて、「ナントカさんの為ならサービス残業だって平気です僕!」という、人格的な上下関係で結びつくようになる。
イギリスの学校は、キリスト教の修道院のやり方を教員養成に取り入れ、教員を牧師(のようなもの)として徹底的に鍛え上げ、自分が牧師であると勘違いした人物を教育現場に送り込みました。そこにルソーやペスタロッチの「子供中心主義の教育」という思想が流れ込み、
「子供は迷える子羊であり、教師はその救済の為に全身全霊を捧げて尽くす神の牧童である」
という、ちょっと気持ち悪い思想が学級の中に居座ってしまったのです。こういった無茶な思想を使わなければ本来成り立たないような不自然な制度が「学級」だという事です*1。
ご存じのように、この哀しい勘違いは、現在の日本でも、滅びるどころかますます盛んになっています。「夜回り先生」こと水谷修さんは、まさに神の代理人のようにして身命を教育に捧げる聖人のような方ですが、そういう教師が理想とされ、「あくまでもビジネスとして」教育に携わっている先生は「なっていない」「たるんでいる」と罵倒される。そして(教育学の研究書や論文をおそらくただの1本も読んだことのないような)「評論家」や思いつきの新聞投稿や親は、学校外での子供達の生活も含めてありとあらゆる事の責任を「学校に押しつける」ようになりました*2。・・・・それにしても自分たちの責任はどこへ行ったのか?
本来はマクドナルド式に安上がりに公教育を行う為に考案された学級システムや、その学級システムがもつ不自然さを我慢させる為の「牧師さま思想」ですが、今日、私たちはその由来を忘れ去ってしまったのです。
たしかに、限りある資金で大量の子供達を教えようとしたら、こういったマクドナルド式をやるしかない。そこは認めなければいけません。ですが同時に、マクドナルド式学年学級システムを自分たちが使っている最大の理由がお金の問題であることを忘れてはいけませんね。
私は現代の日本社会において、限りある資金で教科学力を広く涵養しようとするのであれば、学年や学級システムを使わざるを得ないと思っています。また、学校が教科学力以外のさまざまなもの(社会性や公共心や郷土愛*3)を子供達に伝える役目の一端を担うのも、悪くないと思っています。私がこのウェブログで主張してきた「ホクレア号に学べ」というのは、もちろん教科学力ではないものをきちんと子供達に伝えて行こうというお話です。
ですが、今日ご紹介したような学級システムの本来の性格・目的とその限界を考えれば、ホクレア号に学ぶ(教科としてのではなく一般的な概念としての)総合的学習は、学級を単位としてやる必然性は無いですし、もっと言えば教師にその全責任をおっ被せるものであるべきでもない。
地域の中に存在する公共空間としての学校を利用し、そこに地域の人々が(時には遠来の客も)集まって、地域の子供達を育てる。そこは学級のように「子供達が必ず出てこなければいけない場」ではなく、それぞれの都合や興味関心に基づいて来たり来なかったりすれば良い。
私たちは、これからの学校を、学級で子供達を縛り付けただけの場にするのではなく、教科学力を獲得するための必要悪としての学級と、それ以外のさまざまなものを学びうる(地域にも)開かれた空間が、お互いに補いあう場にしていくべきではないでしょうか。だってマクドナルドの厨房では手打ちそばは打てませんし、ピザを焼けるような石釜も無いですから。
マクドに行って手打ちそばを注文する人がいないように、学級には教科学力向上以外のものを注文しない方が良い。そう思いませんか?
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もっときちんとまとめてあるウェブログを見つけました。
「博物士」
http://d.hatena.ne.jp/genesis/20050430
*1 社会学者の内藤朝雄さんは、このような学級システムの一つの極限を実現した愛知県立東郷高校での壮絶な経験から出発して、『いじめの社会理論』という著書の中で、学級システムを基本とする近代の学校制度とは、このように本来的に不気味で無茶なものだという徹底的な主張を行っておられます。
内藤朝雄さんのウェブログ
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/
*2 『学級の歴史学』の後半では、こういった日本独特の果てしない学校の責任肥大を、国語教育の一環として始まった「綴り方教育」に見る議論が展開されていますが、詳細は割愛します。
*3 このウェブログをずっと読んでくださっている方にはおわかりでしょうが、私がここで主張しているのは地理的な空間としての郷土を愛し慈しむ心であって、盲目的な国家愛や排外的自民族中心主義ではありません。英語で言えばnationやethnic groupやnation stateを称揚してその威光を光り輝かせようというのではありません。自分のnative land、あるいはhomelandをきちんと手入れしていこうというお話です。
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画像は愛知県立東郷高校遠景。中央の2車線道路上端の左側に見える学校のような建物です。右側は小学校。そのさらに右側は中学校(のはず)。