今日から後期の授業が始まりました。
2年生のゼミでは、愛知株式会社の東京支社長と立教大担当の営業の方が、ゼミの様子を視察に来ました。実は東京支社長、中学高校の同級生なんです。ゼミ室の机があまりにも使いづらいんで何とかしてくれと声をかけたら、じゃあ取り敢えず講義の様子を見せてみろということで。
ゼミでは夏休みの宿題にしてあった、今年度末提出のポートフォリオの企画書+習作の合評会。いやねえ、本当にこれが凄かったのですよ。昨日の夕方にババババっと届いた企画書を順に読みながら、私、ゾクゾクしてましたから。何かこれから凄いことが始まるんじゃないか、いや、もしかしたらもう始まってるんじゃないかとさえ思ったね。
たしかにみんな甘い部分はある。あるのだけれど、私が上手にキュレーションしてやることが出来れば、とんでもない作品に化けるんじゃないかという企画が沢山あった。というより、殆ど全部がそういう企画書だった。私からは、ユダヤ・キリスト教における言葉の絶対的な優位性やルネサンスの人文主義に始まる自然科学の隆盛、19世紀末における無意識の領域の発見(フロイトによる精神分析の創始・ソシュールによる言語の二重分節構造の解明)というヨーロッパの思想史を簡単に紹介した後、今回の宿題の意図として、「自分の知らなかった自分、今まで気づいていなかったヤバい自分を発見し、それを言語化し、更にそれを写真として形にする」というプロセスがあることを伝えました。
要は、「自分でもこれはヤバいんじゃないかと思えるような、ちょっと手が付けられない自分の隠れた趣味や欲望、衝動を発見し、それを自分なりのやり方で表象せよ」ということです。
この基本コンセプトの種明かしをした後で、何人かのポートフォリオ企画について議論しました。これがまたヤバい感じで盛り上がったね。愛知のお二人にも適当に愛の手じゃなかった合いの手をお願いしつつ、「おれたちわたしたちの欲望をどうやって写真に写せば良いのか」を話し合うわけですよ。もう方向性として、それぞれが今まで隠していたリビドーが白日の下に晒されるわけでね。愛知の支社長さんも大いに楽しまれたようで、「是非、出来上がった作品を見せてください!」とおっしゃって帰られました。
そうそう、先日ホクレアに乗っちゃった二人の学生なんですが、いきなり7時間の航海で、「船酔いで2回も吐いちゃいました」「このまま船酔いで死ぬのかなと思いました」と朗らかな笑顔で語ってくれましたよ(笑) でも船酔いで死んでいただけじゃなくて、やはりマウ先生を追悼する神聖な航海だったわけですから、魂が震えるような体験だったみたいです。