関心・意欲・態度・www

1989年の指導要領から大々的に採用された「関心・意欲・態度」の「新学力観」もそろそろ賞味期限切れな気がする今日このごろ。
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「関心・意欲・態度」でググれば、いかにして教師に注目されて平常点を稼ぐかという新学力観ハックの技術を解説した予備校系ウェブサイトが山程出てくるご時世である。
稲城五中で配布されているシラバスでも、繰り返し「関心・意欲・態度」についての説明があり、提出物だの発言回数だのが評価に反映されると繰り返し書かれている。
これは教育委員会から、そういうふうに評価しないと許さないからねという厳命が出ているので、末端の教員を批判してもしょうがない。今の東京都では職員会議で教員が校長に意見を言うことは原則禁止されている(石原都政の負の遺産マジダサイ)。加えてこれは推測だが、定期テストの点が良かったのに5段階評価の評点が低いのはどういうことだと苦情を言いに行く保護者が後を絶たないのだろう。気の毒といえば気の毒だ。
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アホくさいんだが、原理原則に立ち戻れば、こういうことになる。
「教科書の内容をちゃんと理解していれば良い。父ちゃんはそれ以上のことは一切求めない。」
つまり、テストの点数とか平常点とか5段階評価で何だったとかいうのはどうでも良い、そういうものを稼ぐためにハックする必要は無いということ。
極論を言えば、評点なんか全部1でも良い。教科書の内容を全て理解出来ていれば、高校入試などクリア出来るし、高校の授業にもついていける。高校の授業内容を全て理解出来ていれば、大学にも入れる。その辺で、新学力観ハックで上っ面だけ取り繕っていたライバルは勝手に脱落していく。大学に入れば新学力観ハックなど黒歴史でしかない。そんなものは何の実力にもなっていないんだから。大学から先こそが真の勝負であり、そこでは本物の好奇心や行動力や探求力だけが、先に進むためのマチェーテとなる。
中学の成績など大人になったら何の意味も持たない。
なんせ、父ちゃんは中学時代は450人中410番前後が定位置だったんだからな。
そういえば現代文なんか私は一切勉強をしたことがないし授業中も寝ていたがテストはほとんど出来ていた。新学力観ならクズ認定だが、これまでに翻訳書を6冊、論文を沢山、共著は今年2冊目が出る。関心意欲態度など所詮その程度のものだ。