その時、大教室が微妙な空気に包まれました

 今週から講義が始まりました。初回はガイダンスなので、「何を教えるか」を学生たちに紹介するわけですが、私はもう最初から、試験の内容まで発表してしまいます。

 ずばり「あるマイノリティの権利を巡る紛争の資料を試験場に準備しておくので、それを見て『自分ならどんな政策あるいは事業でこの問題を解決するか』を2000字程度で書け」というもの。

 抜群に冴えたアイデアなら800字でも単位を出すよ~、とも言いました。講義に1度も出なくても、きっちり勉強してあれば単位取れちゃうよとも。

 しかしながら、この試験できちんとした答案を書く為には講義に出てノートを取っているだけじゃ駄目です。最低でも講義外で3冊程度は関連書を読んでおく必要があるし、赤旗と産経以外の新聞を毎日読んでいないと厳しいであろうとも(赤旗と産経はセットで読むなら推奨)言い添えました。

 いやあ。微妙な空気に包まれましたね、教室が。あの教室って実は私が妻と初めて会った場所だったりしますが、よもやその18年後にああいう空気を自分が作ることになろうとは思わなかったなあ。何故あんな空気に包まれたのでしょうか。とある履修者のブログによると、小論文が苦手なので私には死んで欲しいそうです(笑)。いやあ、困りましたね。そりゃあいつかは私も死にますけれども、仮に私が死んだとしても、それで単位がもらえるわけではないですからねえ。

 そもそも文部科学省さんの基準によると、大学での講義は1単位あたり講義+自習あわせて45時間のお勉強を必要とするのが基本なのだそうです。私のこの講義は2単位だから、90時間ですやね。そのうち私が教室で話をしているのが18時間。ということは、学生諸君はあと72時間のお勉強をして試験に臨むのが本筋。

 ま、私だってかつては学生だったからわかりますよ。ノートだけコピーして前日にポイントを暗記。試験が終わったら全忘却。それで単位が手に入るならまあまあ。ベストなのは出席を取らずノート持ち込み可のユルい試験で単位をくれる「楽勝科目」。

 ・・・・・いや、ちょっと待て君たち。そんな腐れ単位ばかり集めて大学を卒業した後に待っているのは「何だこいつ手抜きすることしか頭にねーな」という周囲からの冷たい視線と、こちらがもっと肝心なのですが、いざ自分が何か真剣にやり遂げたい目標を発見した時に、あまりにも空っぽな自分の道具箱の軽さ加減ですよ。かく言う私だって、大学を出た後で感謝したのは青木康先生や三井徹先生や永見勇先生に厳しく締め上げられたゼミでの経験ですからね。この3人の先生方に教えていただいてなかったら、ホクレア関係の翻訳や「アラトリステ」をあのレベルで仕上げることは出来なかったでしょう(『星の航海術をもとめて』なんか、あの日本最高のセイラーでありハワイ人たちからも格別の尊敬を集める西村さんに「読んでいて全く違和感が無かった」とお褒めいただいたんですよ)。

 そんなわけで、私の方針にブレはございません。小論文が苦手ならそれを克服してください。本を読むのが嫌いなら好きになってください。新聞を読む習慣が無かったならば読む習慣を身につけてください。大学ってのは本来そういう場所ですから。努力せずに大学の修了証書が欲しいならば、その手の大学が他にいくらでもあります。少なくとも私は立教大学の卒業生として、自分の母校がそういう大学になることは望みませんよ~。

「多文化の世界:マイノリティ文化の抑圧・復興・贈与」講義要項
http://homepage3.nifty.com/bearspit/announce.html