女性の「世間」と女子力活用と

昨日、電車の中で読んでいた網野善彦さんの『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫、1999/2013年)。

これはタイトルの通り、日本民俗学の巨人、宮本常一先生の主著を網野さんが講義形式で読んだものの書籍化なんですが、この「第2講・女の「世間」」が非常に面白い。

網野さんは、『忘れられた日本人』の中に記録されている女性たちの行動や語りが、中世以前の日本列島中央部(概ね四国と本州西部)の女性文化の痕跡を色濃く残しているのではないかと指摘しています。例えば周防大島の女性たちが戦後すぐくらいまでは、気軽に家出をして2年、3年と各地を遍歴して「世間」を見聞きして来ていたという話など、マルクス主義歴史学やその系列のフェミニズムが言っていた「日本社会は家父長制で女性は家に縛り付けられて云々」とは整合性が取れない。

そこから網野さんは中近世の史料を紐解きつつ、江戸以前の日本列島の女性の、現金経済に関わる側面を推測していきます。

すなわち、日本列島においては不動産や農業生産物、納税義務は成年男子に紐付けされて管理されていたのに対し、繊維産業(養蚕・製糸・機織り)は女性が支配する領域であって、この領域での活動を通して女性は動産(=キャッシュ)を持っていた。だから妻が夫に高利でカネを貸していた証文なども出てくるし、妻が夫を離縁した事例も珍しくない。つまり、不動産や農業生産ベースで日本列島史を見たら、日本列島の女性は昔から徹底的に抑圧されていたように解釈出来てしまうが、実際は江戸期までは女性は現金経済の領域で一定の存在感を持っていたのではないかと。

もちろん、現在の日本の企業社会において女性がなお差別されていることは各種の統計指標を見ても否定し難いのですが、もしかしたらそうした女性の能力の未活用の問題は、江戸以前のようにスモールビジネスの領域で女性が独自の収入源を持っていくという形で、ある程度は解決出来るのではないか、と、これを読んでいてふと思いました。

今、日本に住む女性の多くが低賃金の賃労働(パートタイマー)に従事しつつ育児や主婦業や介護・看護をしているわけですが、賃労働である限り、最低賃金プラスアルファみたいな収入しか得られないわけです。一方でネット社会の発達により、今は私がチャレンジしているようにノンアセット・ファブレス・実店舗レス・従業員レスというミニマムな条件でもスモールビジネスに挑戦出来る時代ですし、大コケしなければパートタイマーと同じくらいは儲かります。無論、当たればパートタイマーより遥かに儲かります。

せっかく大学まで行って就活クリアしてビジネスの勉強もした女性たちが、結婚出産育児でキャリアをリセットしてパートタイマーになってしまうのは、人材への投資としてあまりにもったいない。ので、男性用育児バッグや女子ビジネスバッグの販売ももちろん大事ですが、この経験を通して得たものを彼女たち(あるいは極少数の主夫たち)にシェアして、スモールビジネスによる育児後のビジネスキャリアの構築という選択肢を、より現実味のあるものに出来ればなあ、と思いました。