新井紀子の読解力マーケティングが水村美苗2.0みたいで頑張って欲しい

新井紀子の「AIはMARCHには入れるが東大には入れないから大したことない、日本語の読解力を子供のうちから鍛えればAIに仕事を奪われない」キャンペーン。
グローバル人材というフレーズがバズっていた10年前にヒットした水村美苗の『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』と全く同じマーケティングなんじゃないか。
その時期に大衆の漠然とした不安の要因となっているもの(当時は英語、今はAI)を研究者の肩書で持ち上げてみせたあとで、
「でも、奴らにも弱点はあるっ!」
と希望らしきものを提示して、私について来なさいと説く。
水村はそれが日本近代文学(夏目漱石とか)だったので、マネタイズの局面でビジネスモデルをスケールさせるのに失敗した感があるけれども、新井は自慢の(何故かテストなのにそれを受けると学力テストのスコアが上がる魔法のかかった)「読解力テスト」をやりましょう! で次のステージも上手く設計されている。
脳トレみたいな。あるいは声に出して読みたい日本語みたいな。
でも、東ロボくんがMARCH関関同立の合格可能性80%レベルまで「読める」なら、既に日本語話者の85%より賢い子ということになる。
受験学力においては、ね。
それが受験学力という枠を越えても通用する能力なら、既に日本語話者の85%はAIに仕事を奪われる場所にいるんじゃないのかしら。
私も立教と金沢大しか出ていないので、他人ごとではない。ヤバい。
新井の議論にはトリックがあると思う。
新井の論とは無関係に散々言われていることだけれども、大学ブランドや受験学力と、仕事において価値創造を行う能力は、イコールではない。東ロボくんがMARCH関関同立80%マンになれた、イコール、東ロボくんAIが日本語話者の労働者の85%と同等以上の「使えるやつ」である、ではない。
母語のリーディングスキルが弱い子供がいて、それを無理なく底上げ出来るソリューションがあるなら、やれば良いと思う。
が、そのソリューションをバズらせるためにAIや伝統的なドメスティック大学ランキングを持ち出して大衆を煽るマーケティングには銅臭と古臭いエリート意識とICTフォビアを感じる。
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