6000キロの轍

 非常に大まかな数字ですが、昨年1年間に私が自転車で走った距離は実走で6000キロメートル強でした(このほかにローラーで1000キロくらい走っております)。周防大島と広島で走った分が多分200キロくらいありますが、それを差し引いてもまあ1年で6000キロ、武蔵野を踏破したと言えます。

 割と頑張ったと思いません? ハワイからタヒチまで航海カヌーで行って片道4000キロですからねえ。カワイハエからタプタプアテア・マラエくらいまでの距離は走ったわけです。

 お陰様で、相当に地元の地理には詳しくなりましたよ。それも自動車や電車で移動していては絶対に到達出来ない深さで。

 例えばね。本州島のような地形において、動力を使わない移動をするとき。航法で一番重要なのは何だか解ります? 川ですよ。川の流れ、川筋を頭に入れておくのが基本中の基本になる。何しろ川沿いは基本的に地形が平坦だし、川沿いに移動する限り自分の位置を見失うことは絶対に無い。私は地図もGPSも持たないで遠乗りに行くのですが、航法の基本は川。今日はどの川筋を使って移動して、どの辺りで川から離れるかというようにしてルートを決めます。

 既知の川筋から離れた後のウェイファインディングも、基本は川ですよ。例えば多摩川の西岸では、ある支流沿いから尾根を越えれば、そこは必ず別の支流の谷筋になっている。自分がどの川の谷筋に居るのかということさえ把握していれば、決して迷子にはなりません。だって川に出て水が流れている方に向かえば最終的には多摩川に出られますからね。多摩川沿いなら羽田から羽村まで全行程を知り尽くしてますし。

 東岸の場合も野川、仙川など支流はありますけれども、武蔵野台地を流れる川なんで、谷筋というほどのものは無いし、荒川の方に流れていく川や玉川上水みたいな用水路もあるので、谷筋で自分の位置を把握することは出来ません。ですけれども、これらの川筋をきちんと頭に入れていれば、「今自分が居るのはどの川のどの辺り」という形で航法が出来る。

 東岸でもう一つ使えるのは崖線ですね。府中崖線、国分寺崖線、立川崖線はいずれも古多摩川の作った段丘なのですが、これらの崖線上のどの辺りという形での航法も勝手が良い技術です。

 航法だけじゃないですよ。これだけ武蔵野を走ったおかげで、どこにどれだけの高低差があり、坂道の斜度はどれくらいでということもかなり解ってきました。それも単なる知識ではなく、自分の体に刻み込まれている知識です。あそこはあのギアで上れる、あそこは上りきるまでに何分かかった、あそこの下りでは何キロ出たというような知識。

 こうやって立体的に自分の住んでいる土地を知っているとですね、今度は文献による学習に現場の知識が効いてくるんですよ。何市何々町のこの辺りには縄文晩期の集落跡があるという記述を読むでしょう。そこで地図を見れば、その周辺の地形が自然に浮かんできますから。ああ、縄文人はああいう所が好きだったのかというのがわかる。奈良時代や平安時代の古道がここを通っているという記述を見れば、なるほど、古代の道はああいう地形を選んでいたのかと想像がつく。あるいは、まだ走ったことが無い場所にこんな遺跡があるという文献を読んだら、すぐに走りに行ってみる。なるほど、こういう土地だからああいう遺跡が出るんだなと腑に落ちる。

 昔の話だけじゃありません。ここでこんな開発が行われていて、こんな問題が出てきているという話を読む。かつてこんな開発が行われて、こんな結果になったという話を読む。これからここでこんな開発が行われることになっていて、こんな議論が持ち上がっているという話を読む。

 読んだら見に行く。見に行ったら考える。考えを整理する。まとめる。

 そうやって少しずつ少しずつ、自分の住んでいる土地のことを知ろうと努力してきた結果がサイクルコンピュータのオドメーターに「6000キロ」という形で出てきたのですな。残念ながら私は気軽に世界各地を飛び回れるような生活をしていないので、多摩川流域という非常に狭い地域に集中せざるを得ないのですが、それはそれでこういう楽しみ方もあるのです。