私は「グローバル人材」育成に賛成です。

 いつ終わるとも知れない就活が3年11月から下手すると4年の秋まで1年間も続く結果、学生に色々な学習の提案をしても「内定が出ていればやりたいんですけど・・・・」で終わってしまう。日本の企業の新卒一括採用慣行は国力を低下させていると思う。

「アメリカの学部生には、日本のような大量一括採用慣行に基づく"就活"なるものがない。大学3年でも4年でも卒業後でも柔軟に起業に時間を割くことができる。」

 今年度の3年ゼミで痛感したが、クラスの中に留学生が2割くらい居る方が絶対に面白い。文化的多様性も出るし、活力も生まれるし、教える方も日本の歴史や文化をグローバルな概念に翻訳して説明しなくてはいけないが、それがまた日本人学生たちのドメスティックな感覚を揺さぶるきっかけにもなる。

「世界から集まった多様なバックグランドを持つ多才な若者をキャンパスの寮に隔離し交流させ、同時に文理問わず徹底的に本で考えさせる教育を与える。これがすさまじい革新を生む可能性がある。」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32025?page=3

 だから、日本の大学はもっともっと世界中から留学生を集めた方が良いと思う。そのためにやるべきことは、何と言っても学びの内容を魅力的にすること。英語がどうとかはあまり関係無い。これはエキサイティングだろうという学習デザインを考え、どんどん実行し、どんどん外部に発信する(←ここだけは英語でやれ)。
 ところが現状はどうかといえば、大学教員の採用人事は教育実績は評価対象外だし、新しいことをやろうとすると、とにかく全部、会議で承認を取れとなる。外部への情報発信でブログやFBを使うだけでもイヤな顔をするに到っては、終わりすぎていると言って良い。
 日本には面白い現場、面白い人、面白い組織が沢山ある。地域ごとに異なる複雑で多様で奥深い歴史と文化がある。日本の人社系の大学がグローバル市場で勝負しようとする時、最大の資源はそれだと思う。日本に来ないと見られないもの、会えない人、やれない経験、そういうものを活用した学習デザインをどんどん積極的に考えて実施して発信していかなければいけない。
 何故、今、特に人文系の大学教員が「グローバル人材」育成という意見に猛反発しているのか。今まで本当に連中の気持ちがわからなかったが、ようやく筋の通る説明を思いついた。要するに彼ら彼女らはこれまで、欧米の流行を翻訳して紹介して、日本国内の事例に応用した論文を書いて商売してきたからなのではないか。これは日本という(言語障壁で守られた)ドメスティック市場でしか通用しないコンテンツだ。グローバル市場で魅力的な、競争力のある教育コンテンツを作り、世界から学生を呼び込んで、エキサイティングでトンガりまくった大学を作る気合いが無いからだ。
 そんな気がした。