注文の多い料理店の費用対効果

 えーと、昨日のネタの続きです。

 昨日の結論は「学級は安上がりに教科学力を獲得させる為に考案されたシステムだから、教科学力以外の注文を出すのは止そう」というものでした。
 
 ですが、こういう事を書くと、たぶん実際に現場で教えておられる先生方からも「え~、そうかなあ?」という声が聞こえてくるような気がします。

 いや、もちろん現在の学級システムが教科学力以外のなにものかを子供達に獲得させているという事実の指摘については、私も喜んで同意します。ですが、例えばレクリエーションにしろ掃除にしろ係り活動にしろ、学級システムが無ければ、絶対に実践出来ないという類のものではありません。何故学級の枠を越えてレクリエーション活動をしてはいけないのか? 何故体育祭や文化祭を学級単位以外では出来ないのか?

 出来なくないですよね、全然。過疎地の学校や障害児学校などでは当たり前にやっている事ですもんね。

 逆に、学級システムに何もかも背負い込ませることの弊害は何でしょうか? それは、費用対効果が小さいこと。つまり・・・・・・「資源のムダ使い」ってことですよ。

 はあ? だって「学級は安上がりに」って1行目に書いてあるじゃんか。そう思いますよね。たしかに教科学力獲得装置としての学級システムは、わりと優れています。何しろ教師1人で教えられる数が多いですから。ですが、それはあくまでも教科学力獲得に話を限ったら、ですよ。

 ここでマクドナルドの店内を思い出してください。メニューはあの下敷きの表裏に書ききれる程度ですよね。店員の仕事は「注文を受けてレジを打つお姉さん」「パテを焼くおにいさん」「パンに具材を挟んで紙に包むおじさん」に分かれてますね。マクドの店内で客が取りうる行動は「予め決められたメニューから注文品を選ぶ」「カネを払う」「座る」「食う」「トイレに行く」くらいです。それだけです。マクドの店員は客と一緒に店舗対抗運動会に出ない。マクドの店員は客を引率して遠足に行かない。マクドの店員は客の家族と面談しない。マクドの店員は店内で客が怪我をしても病院まで付き添わない。マクドの店員は客の人生相談に乗らない。マクドの店員は自宅にかかってくる客の電話やメールの相手など絶対にしない。

 おわかりでしょうか。

 マクドの店が少人数の店員で大量の客を捌けるのは、店で提供するサービス内容を極限まで絞り込み、それ以外のサービスを一切行わないという鉄の掟に従っているからです。そういう機能限定型の組織を作り、スタッフの業務内容を全てマニュアル化する。マニュアル化するとは、マニュアルに定められた以外の行動を禁じるという事でもあります。だって一部のスタッフがマニュアルに書いてない事をおっぱじめたら、他のスタッフに仕事が流せませんものね。流れ作業ってそういうものです。そのかわり、やることが限られているから短い時間で大量の作業をこなせるし、初心者でもマニュアルに従えば一応なんとか仕事をこなせる。

 さて。それでは、そういう完全マニュアル式の分業システムに、多種多様な仕事をやらせようとするとどうなるでしょうか。答えは簡単ですね。マニュアルが果てしなく分厚くなっていく。だって予想される全ての事態についてプログラムしておかないといけませんから。そうなると、プログラムを書くのも時間がかかるし、そうやってプログラムが組まれたシステムに入力を入れても、プログラムそのものが重いですから、出力が戻ってくるまでに時間がかかる。バグがあればフリーズする。しまいには熱暴走する。

 学級にありとあらゆる事をやらせようというのは、これに似ています。

 みなさんは教師なんて気楽な商売だと思っているかもしれませんが、教科学力を獲得させる以外の事をする場合には、何をやるにしても膨大な書類の事前作成(=プログラム書き)が待っているんですよ。修学旅行に行くともなれば実地踏査といって、予め現地に赴いてうち合わせをして、行動予定とそれに付随する安全対策と不慮のアクシデントの際のリカバリープランを全部プログラムする。それを教育委員会がチェックしてあら探しして突き返す(=バグ取り)。書き直す。バグ取り。書き直し。バグ取り。

 そうやって膨大な時間をかけて出来上がった重いプログラムも、1回限りで毎年毎年使い捨てです。特注のカスタムソフトを1回だけ使って使い捨てるのに似ています。文化祭も体育祭も林間学校も始業式終業式卒業式も全部これやるんです。プログラムを書く教員は、だから聖職者のつもりにでもならないとやってられない。自分で自分を偽らないとね。仕事だと思ったらやってらんないっての。

 でもまあ泣きを見るのは教師だし、公務員ムカつくし、ザマーミロじゃねえのって?

 お客さん、世の中そんな都合良く出来てないですよ。

 天皇陛下だろうがホームレスだろうが1日は平等に24時間で1時間は60分。教師だってこれは同じです。さて、そういう限られた時間しか使えない教師が毎年毎年膨大なプログラムを書いているとしたら、プログラム書き以外に使える時間はどんどん減っていきます。何が減るって最初に減るのは教材研究ね。授業準備ね。そういう時間。なんせほら、教科学力付与業務に限れば学習指導要領と検定教科書厳守のお達しがありますから。教科学力付与業務だけは、量産品の軽いプログラムを走らせられるんですわ。

 つまりそういう事です。子供は仕様書通りに外注先から入ってくる工業部品じゃない。それぞれに個性があり特性がある。だから本当は組み上げの時に、アタリを取って重量バランスを取って潤滑油で馴染ませて、丁寧に慎重に職人仕事で組み上げたい。学級システムの本質は紛れも無く流れ作業の規格品大量生産ですが、ラインに若干の余裕がある限りは、その中でも職人仕事を加えて品質を高める余地がある。だからなるべく子供達に手をかけてやりたい。

 教師はみんなそう思っています*1。指導要領と検定教科書だけじゃ足りない部分のプログラムを、教師が手間暇かけて書いてやりたいってね。

 でも実際に起こっている事は正反対だ。本来一番大事なはずの教科学力付与業務が一番のやっつけ仕事になっている。多少部品のかみ合わせが悪かろうがなんだろうが、散々に余計な特注仕事をさせたあげく、期日までに仕上げて納品しろと言うんだからしょうがない。目をつぶって力任せに組み付ける。組み付け不良品を掴まされた親御さんは運が悪かったと思ってくれ。

 もうおわかりでしょう。学級システムにあれもこれもやらせるってことは、同一規格品の大量生産に向いたシステムに特注品ばかり流すって事なんですよ。それだったら、同一規格品の大量生産ラインにはそれだけを流して、特注品は別にセル・システムかなんかで組み上げた方が効率が良いんです。その方が同一規格品の大量生産だって余裕をもって出来るから、個々の部品の相性を見て組み付けていくような小技も出せる。結果、仕上がりの精度は上がる。

 同じ学級システムを使っていても、余計なサービスは一切提供しない学習塾の方が教科学力付与の能率が高いのは、こういうわけだったんですね。

 だったら公立学校でもバカみたいに使い捨てカスタムプログラムを書かせる愚を改めて、教師はまず教科学力付与業務に専念してもらう。それ以外のレクリエーションだの総合的学習だののデザインは、別に専門スタッフを置いてやらせる。デザインをプロがきちんと作った上で*2、実際の実践には地域住民や教師の有志がどんどん関わっていけば良いでしょう。

 その方が絶対に税金の効率が良いです。断言します。

*1 わいせつ事件で有罪になるような教師でさえ、そういう気持ちを持っていると私は思っています。人間の中身は新聞が書くほど単純じゃないです。

*2 パックツアーを想像すれば、学校が行う課外活動の責任のあり方が見えてきます。パックツアーは最初に旅行契約書を交わして、双方の責任の範囲を明確にします。ツアコンとツアー参加者の関係は、金銭が介在したビジネスです。