もう昨日になりますが、高校のかなり下の後輩に無理を言って、学生たちに会社訪問させていただきました(ありがとうございました)。
外苑前の駅を下りた目の前に本社がある、とっても大きな会社です。
案の定なんですが、学生たちは圧倒されて帰って来ました。そこで彼女たち(今回のコンセプトは「女性総合職に会ってみよう!」だったので)が伺ってきた話の中でも私の目に止まったのは、「ここは尖った人しか居ない会社です」というお話。
尖った人。
尖っているってどういうことでしょうか?
私の息子は紙工作や抽象絵画が大好きですが、私自身が小さかった頃は粘土遊びが大好きでした。そのせいなのか、私は今でも抽象的な思考が3次元の形状として経験されることが多いのです。もちろん、人のありようについてもそうです。他人がシンプルな3次元の抽象形状で見えるんです。尖っている人、というのは、私には本当にツノが突き出した物体として感じ取れる。
逆に、内側に向かって抉れたり裂け目が走っているように見える人も居ます。自分のコンプレックスと葛藤するので精一杯みたいな若者は、雪見大福の中心部にエンピツをぶっ刺して穴を穿ったみたいな形状に見えます。
本当よこれ。
(2017年6月8日追記:若者だけでなく、いい年したおっさんや、もうアラサーになるようなお兄さんお姉さんも、です)
面白いのはここからです。近くに居るだけで暑苦しくて鬱陶しくて自己アピールくどい人って、殆どの場合は尖って見えない。逆に抉れて見える。例えば自分の劣等感を中和するために既存の権威を必死で取り込んで援用しているような人なんかは、雪見大福に深い深い凹みが開いてる感じ。
学生であれば、TOEICの点数をやたら鼻にかける子とかね。
Name Dropper(有名人の名前を挙げて知人だと自慢する人)とか。
ウェブでバズった本の表紙をSNSにアップして読んでるアピールするとか。
全部同じです。
じゃあ、どんな人が尖って見えるのかといいますと、既存の権威や価値基準に囚われない新しいものを作ろうとしている人とか、よくわからないけど面白そうなものには取り敢えず手を出してみる人とか、離島で土砂災害があってチェーンソーが足らないって聞いたら1週間で4台分も募金集めてくる人とか、とにかく未知の空間に向かって自分を押し出していってる人たちです。
そういう人は、その押し出す勢いに比例して尖って見える。
この私の粘土視覚における「尖っている」が、外苑前の大きな会社の人たちの言う「尖っている」と同じかどうかはわかりません(きっと違うと思います)。幸いにも今日は横浜で、件の会社出身の尖った(というか存在そのものが円錐形に見える)おじさんと一緒に披露宴に出席する予定ですので、さり気なく確認して来ようとは思っています。
以上、主に3年生向けのナゾナゾでした。
2018年4月5日追記:
高校の後輩はその後、実家の経営を引き継いでオーガニック系食材の専門商社として頑張っています。
円錐形おじさんは2月末まで三井倉庫ロジスティクスの専務をやっていましたが、今はフランスにある世界3位の船社の日本支社の支社長だそうです。
よろしければ私のデザインしたバッグやTシャツのウェブショップも覗いてみて下さい!