杉本博司『苔のむすまで』書評:世界の杉本とそれ以外の有象無象の立教生を分けるもの。

杉本博司『苔のむすまで』(新潮社2005)他1冊読了。

杉本博司は立教の大先輩で、なおかつ日本出身の写真家・現代アート作家としてはグローバル市場で上から4番目くらいに売れているという凄い人(彼の上にいるのはもちろん村上隆・草間彌生・小野洋子)。

なんですが、この本を読んでおっどろいたのは、杉本先輩が日本の古代~近世に到る古典文化におっそろしく深いレベルで精通しているということでした。その理由も明らかで、彼は作家として売れるまでの10年強の間、NYでかなりグレードの高い骨董品店を経営していたから。場末のガラクタ屋レベルかと思っていたら、アメリカ東部の一流のコレクションに入っているような名品を数多く扱っていた名店だったのです。そりゃ、仕事として勉強せざるを得ない。

とはいえ、とはいえですよ。その深い教養が彼の現代アート作家としての創作活動の強靱な背骨になっていることも明らかです。直島の護王神社の仕事など、崇徳上皇に関する古典文学や日本史の知識+能楽の知識を、wikipediaより遥かに深いレベルでもっていたからこそ出来たということも、この本を読んで知ることが出来ました。

さて、杉本先輩は広告研究会に所属しておられたと聞きますが、その広告研究会、あるいは立大写真部の学生で私が直接知るどの学生も、まず古典文化に向き合う姿勢からして比較対象にもなりません。別に日本の古典に限った話ではなく、中国でもインドでも中東でも欧州でも同じです。

ちょっと前にも書いた話ですが、創造性を養うのなら同時代のポピュラー文化にだけ触れていては絶対にダメです。全ての良いものが、それが創作された時から今日に到るまで高い評価を得てきたなんてこたあ無くて、フェルメールもJSバッハもヴィヴァルディも「再発見」されているわけですし、だからまだ「再発見」されていない良いものも色々あるでしょう。でも、何百年の時を越えて一級品として伝えられたオールドマスターや思想、そしてそれらを生んだ歴史を学ぶことの価値は揺るぎません。

そして、広研や写真部の学生だって、理屈ではこんなことは理解出来ているでしょう。問題は行動出来るかどうか。That's the point. それが世界の杉本とその他の有象無象を分ける最初の右左です。

まだ間に合う。もっともっと勉強しなさい君たち。