子育てと「おばちゃん文化」

 育休に入って半年経ちました。4月にはまだヨチヨチ歩きだった息子も、いまや放っておくとどこまででも歩いて行ってしまう健脚の持ち主に成長し、妙に日焼けした顔つきも精悍に日々遊び回っています。

 ところで、最近になって確信したのですけれども、自治体の育児支援施設には独特の文化があるのですね。うちでは「おばちゃん文化」と仮に呼んでいるのですが、要するに、そういう場所の職員が全て中年以上の女性で占められていることから来る、一種独特の雰囲気です。

 その特徴として私が捉えているのは・・・なんて言うんでしょうかねえ・・・独特の「子供観」があるんですよ。例えばそういうところでやる遊戯や、みんなで歌っている歌ね。幼稚園にもまだ入れない年齢の息子について言うのも申し訳無いんですが、何だか異様に幼稚なんですよ。それで、毎週、ピーター・バラカンの「ウィークエンド・サンシャイン」とGONTITIの「世界の快適音楽セレクション」を聴いて踊っているような幼児からすると、「俺を舐めてるのか?」とでも思うんでしょうか。息子も明らかに嫌がっているんですね。そういう場に出くわしたら後ずさりして私の顔を見上げますから。

 それとですね。うちの息子はおもちゃで遊ぶよりも、おもちゃが詰まっている箱を押したり引いたりして移動させるのが好きという変な奴なんですが、そういう遊び方も「あぶないから止めようね~」と邪魔しに来る。椅子が沢山あるんで、それを並び替えて遊んでいたら、やはり「あぶない(以下略)」。テーブルの上に乗って遊んでいたら(以下略)。

 ま、怪我されたらまずいって立場は解りますけども。そんなこんなで、息子も最近は「施設のおばちゃん」が2人以上居ると「つまんねーから帰ろうぜ」って親の手を引っ張って出口に向かうようになってしまいました。

 いや、もちろんおばちゃんたちが頑張ってやってるのはわかりますよ。これからも頑張って欲しいとは思います。ですけれども、やはり根本的な部分で異様なんですよ。場のノリが。だって大人の男が基本的に居ないんだもん。息子も嫌がってるけど、私自身もああいった場の雰囲気は気持ち悪いなと思う。

 「男らしく」という表現は色々と難しいものがありますが、まあ一般的に言って生物学的オスが好みがちな行動形式ですね(もちろんメスの中にもそういうものを好む個体は多いでしょうし、それは悪いことではありません)、そういった方向性を持つ行為・行動の選択肢がさりげなく閉ざされている。そういった場。男の子が、自分の父親の真似をしながら楽しく遊ぶことを許されない世界。現代の日本の乳幼児は、否応無しにそういう場を経験せざるを得なくなっているように感じます。

 そうした状況が現在の社会問題の遠因になっている、なんてことは私は言いません。そんなことは検証しようがないですし、ある社会問題の原因を何か一つの事象に押しつけるような議論は、基本的にデマだと思ってますからね。ただ、これだけは言わせて欲しい。

「大人の男たちは、もっともっと大量に乳幼児が育っている場にやってくるべきだ。」

 そう。悪いのは今現場に居るおばちゃんたちじゃ無いんです。おばちゃんたちに乳幼児の世話を任せきりにしている、大人の男たちがいかんのです。考えてもみてください。近所の児童館、あるいは保育園、あるいは幼稚園。そういった場所に荒木汰久治さんやブルース船長や結城幸司さんみたいな大人の男たちがちゃんといつも存在していて、乳幼児たちと触れあっている。これはね、そうでない状況よりも、確実に良いですよ。健康的です。世の中には大人の男と大人の女が同じ数だけ居るんだから、乳幼児が育つ場だってそういう本来のバランスが保たれていた方が良いです。

 どこぞの国みたいに、父親の育休取得を法律で義務づけるくらいしても良いんじゃないかな。私はそう思います。