試験をそれっぽく綺麗にまとめることの効用と限界

息子が期末試験を全て終えて帰還した。

私は中学校の試験の結果というものを全く気にしていない。教え方も試験の仕方もなっちゃいないという感想しかない。

なにしろ、こういうところだ。

なお、市教委には通報済みである

それに、自分自身も高2が終わるまでは試験勉強などしなかった。

だから

「試験範囲でわからないところは無いな?」
「無い」
「数学と英語でわからないところは?」
「無い」
「なら良い」

これで済ませている。

ただ、妻がさすがに前回の社会の試験結果(ほぼ無得点)に不満を鳴らしていたので

「良い点は取らなくても良いから、今回はそれっぽい点を取れ。でないと父ちゃんもかばいきれない」

と伝えておいた。

帰宅した息子は

「社会も結構書けたよ」

と言っている。

必要性があれば、ある程度はそれっぽいことをして見せられるということがわかっただけでも、収穫である。

そして、そんな社会のテストの前日でもゲーム動画を編集してyoutubeにアップロードしている息子の生き方には、頼もしさしか感じない。

試験をそれっぽく綺麗にまとめることに特化したままゲームを進めてしまった人の一定割合が、ルートを見失った瞬間に、あるいは集団から遅れた途端に、何も出来なくなって途方に暮れてしまうのを知っているからだ。