「言ってみれば日本の研究者の世界に独特の下位文化だな。下位文化すなわちサブカルチャーだよ。こういうのもサブカルチャーなんだ。そうそう、著者があとがきで自分はカルチュラル・スタディーズに影響を受けたとか書いてただろ。カルチュラル・スタディーズってのは1970年代にイングランドのバーミンガムで発達したスタイルだ。一種の流行だな。日本には1980年代の終わりくらいに輸入された。 もともとイングランドってのは階級ごとの文化の違いが無茶苦茶でかい国なんだ。一番上にいるのが地主階級。つまり貴族だ。その下に商売やってる連中とか医者、法律家、学者が来る。医者や法律家はプロフェッショナルと言われる。一番下がワーキングクラス、労働者階級だ。それで、貴族と労働者では体格も全然違う。体格が良いのは貴族階級だ。運動能力も貴族階級のが概して高い。アタマも良い。階級間の移動もあるが、基本的には優秀な奴が勝ち上がって上に行く。そして通婚は同じ階級の内部で行われる。 上と下の文化の違いは、例えばフットボールだ。フットボールというものは古代からヨーロッパ各地で行われていた。もちろんイングランドでも昔からフットボールというものはあった。それが19世紀にルール整備をして近代的なスポーツにしていく過程で、ラグビーとサッカーという2種類のフットボールに分かれていった。 イングランドで上の階級が好んでいるのがラグビーだ。労働者階級はサッカーの方が好みだ。ところでHさん、ラグビーの試合終了のことを何て言うか知ってるか?」 Hさん「知りません。」 私「誰か知ってる人は居ない? 居ないか。ラグビーの試合終了をNo Sideという。試合中はチームが分かれていても、試合が終われば勝ち組も負け組も無い。みんな仲間だという、かなり偽善的な言葉なんだけど、ともかくそうなっている。じゃあダービーマッチって言葉は知ってる? サッカーで、因縁や遺恨があるクラブ同士の対戦のことをダービーマッチという。 何でダービーマッチと言うのか。イングランドにダービーという町があるんだが、ここは昔から年に1度、町の住民全員参加の狂乱のフットボールをやっていた。町のこっち側の出口と(黒板に図を描く)こっち側の出口をゴールにしてだな(笑)。住民全員を二手に分けて1つのボールを奪い合う。敵のゴールにボールを入れた方が勝ちなんだ。町中全部が試合会場よ。 もちろん物は壊れるわ、怪我人は出るわ。たまに死人も出てたらしいんだが、ともかくそういう野蛮なことをやっていた。これがダービーマッチの語源だ。サッカーの遺恨試合ってのは、1990年代までは非常に暴力的な試合になったんだなイングランドでは。ダービーの町でやっていた狂乱のフットボールみたいに。 フーリガンといって、相手のサポーターに襲いかかったり物を壊したりする奴らがいっぱいいた。イングランドで代表的なダービーマッチといえば、リバプールとエヴァートンのマージーサイドダービー。アーセナルとトテナムのノースロンドンダービー。ニューカッスルとサンダーランドのタインウィアダービーなんてのが有名だな。 この違いわかる? ノーサイドとか言ってる偽善的な連中と、破壊と暴力に熱中する野蛮な連中。全然文化が違う。上の階級はクラシックを聴いてる。下の階級はビートルズだ。ところが、かつては学問の世界で言えば文化というのは、こっち。上の階級の文化のことだった。そういうものを研究するのが文化研究だった。 カルチュラル・スタディーズというのは、下の階級の文化も文化でしょと言ったんだ。下の階級の文化を学問の対象として真面目に扱った。この階級の中で、この階級独特の文化はどのように生み出され、どのようにしてこの階級を再生産しているのか。フーリガンだのビートルズだのがこの連中にとってどういう意味を持つのかとかね。 さあここでもう一度、クソ翻訳調の話に戻ろう。ダービーマッチもフーリガンもしょうもないと言えばしょうもないんだが、そういうものを延々とやっている連中にとってはなにがしかの必然性とか意味とか由来がある。ただし自分たちではあまり意識しない。外から見ればアホさはわかるけど、中にいてどっぷり浸かってると、そのアホさに気づかない。要するに日本の学者世界のクソ翻訳調もフーリガンみたいなもんだって話だな。じゃあ今日のテキスト、本題に入ろうか。Kくん、発表よろしく。14時5分までで。」
他の先生に「加藤さんはいったいどんな(変な)講義をしているのか」と聞かれたので、ちょっと演習の様子を書き起こしてみました。
何ですかね、この大脱線大会(笑)。でもちゃんと時間内に博覧会と近代の関係とか、江戸時代の盛り場(両国)と上野の博覧会会場の構造の違いとか、近代における視覚の優越的地位の由来とか、きっちり説明して終わらせましたよ。ソウルの東大門市場とロッテ本店の違いとか、コミケ会場とアキバやアメ横の違いを例にあげて。